シンプルだからわかりやすいとは限らない
●Which do you like better, tea or coffee?
上記の文で、orがつないでいるものは、teaとcoffeeだ。orは、前の名詞と後ろの名詞をつないでいるだけで、何の説明もいらない。しかし、単純だからといって、必ずしもわかりやすいわけではない。
平均的な受験生のandやorについての理解度は驚くほど低い。逆に言えば、andやorについての認識が深まれば、精読の技能は、間違いなく格段にアップする。
次の文について解説して欲しいという声がときどき聞こえてくる。HP上の「指向しているもの」のなかで取り上げた文だ。
I don’t know what I said or even if I said anything.
「私は、自分が言ったことを、あるいはたとえ自分が何かを言ったとしても、わからない」では、日本語として意味をなさない。
では、誤訳はいったいどこに問題があるのか? どう訳せば正しいのか?
まず、what I saidは、whatを関係代名詞と解釈すれば、「私が言ったこと」となり、whatを疑問詞と解釈すれば、「私が何を言ったか」となる。いずれにしろ、what I saidは名詞節で、I don’t knowの目的語であることにかわりはない。
こんどは、if I said anythingについて考えてみると、if節の訳し方は、パターン化すれば次の3通りである。
①私が何かを言ったかどうか(名詞節)
②もし私が何かを言ったとすれば(副詞節)
③たとえ私が何かを言ったとしても(副詞節)
①はif節を名詞節と解釈した場合の訳であり、②③はif節を副詞節と解釈した場合の訳である。
本文は、even if~の形をとっていることから、③の解釈が生まれたと考えられる。
I’ll go out even if it rains. たとえ雨が降っても出かける
しかし、たんにif節にevenがついているからといって「たとえ~でも」と訳すのは早とちりである。”even if I said anything”を「たとえ~でも」と副詞節で解釈すると、orが連結しているものは次のようになってしまう。
what I said or even if I said anything
(名詞節) (副詞節)
orは、andなどと同じ等位接続詞であり、orやandが連結しているものは同一要素である。
cats and dogs / black and white / come and go / here and there
したがって、誤:(名詞節)or(副詞節)
正:(名詞節)or(名詞節)となり、
正しい訳は、「私は、自分が何を言ったか、あるいは自分が何かを言ったかどうかさえも、わからない」である。
●英国の生活と文化面への一瞥
街角の掲示板のポスターにこんな文が載っていた。一般市民を対象にした大学の公開講座のタイトルだ。
A look at life in and culture aspects of Britain
このタイトルで、andが連結しているものは何だろう?
誤:①(A look at life in) and (culture aspects of Britain)
誤:②(in) and (culture aspects)
誤:③(life) and (culture aspects)
①②は、andが同一要素を連結することを考えれば、あり得ない連結である。
③は、(名詞)and(名詞)で、いちおう同一要素の連結にはなるが、それでは、前置詞のinが浮いてしまう。
正しくは、(life in) and (culture aspects of) である。
わかりやすく書き直せば、
A look (at life)(in Britain) and A look (at culture aspects)(of Britain)となる。
●For here or to go?
以下は中1の教科書(New Horizon:Unit5)に出てくる、「ハンバーガーショップで」と題された文章だ。
Demi: Two hamburgers and two colas, please.
店員: Large or small?
Demi: Large, please.
店員: For here or to go?
Demi: For here.
教科書のこの単元の趣旨は、andとorの理解にあるようだが、For here or to go?でのorの連結は意外とむずかしい。(for here)は(前置詞句)、(to go)は(不定詞句)だから、orが同一要素を連結しているとは考えにくい。
For here or to go? は、ファーストフード・レストランなどでよく耳にする決まり文句だが、意味は、「ここで召し上がりますか、それともお持ち帰りですか?」だ。ジーニアス英和大辞典では次のような解説が載っている。
Is this to eat here or to go? = Is this for here or to go?
(to eat here) or (to go)は、(for her) or (to go)へと変化していったもののようだ。しかし、いくら日常的によく使うフレーズだからといって、中学1年生に、こんなorの連結を理解させるのは不可能である。
●andは何をつないでいるのだろう?
以下の文章は『英文標準問題精講』(旺文社刊)のなかから引いた英文である。それぞれのandは何をつないでいるのだろうか? 解説はしないが、チャレンジしてみてはどうだろう。
●(例題1)Englishmen have often, and in a variety of fields, been either leaders or valuable contributors of noteworthy progress.
イギリス人はしばしば、しかもいろいろの分野で、注目すべき進歩の指導者であるか、あるいはその尊い貢献者であったのである。
(例題3)In order to master the English language thoroughly and, consequently, to be able to really appreciate English literature, it is necessary to have a clear understanding of the Englishman’s character.
英語を完全に習得し、またその結果として、英文学をはんとうに鑑賞することができるためには、英国人の性格をはっきりと理解することが必要である。
●(練習問題20)I do not know what I may appear to the world; but to myself I seem to have been only like a boy playing on the seashore, and diverting myself in now and then hiding a smoother pebble or a prettier shell than ordinary, whilst the great ocean of truth lay all undiscovered before me.
私は自分が世間の人の目にどう見えるかは知らないが、私自身には、海浜で遊んでいる少年が、真理の大海はまったく未開のままで眼前に横たわっているのに、ときおり、普通よりもなめらかな石や、普通よりも美しい貝殻を見つけて、楽しんでいるようなものにすぎなかったように思われる。
●(練習問題25)I cut so miserable a figure, too, that I found, by the questions asked me, I was suspected to be some runaway servant, and in danger of being taken up on that suspicion.
それからまた私は非常にみじめな風さいをしていたので、人から受けた質問によって、私が逃亡中の下男ではないかという嫌疑をかけられていること、そしてその嫌疑で捕えられる危険があることがわかった。
●(例題74)Excursions into the literature of a foreign country much resemble our travels abroad. Sights that are taken for granted by the inhabitants seem to us astonishing; however well we seemed to know the language at home, it sounds differently on the lips of those who have spoken it from birth; above all, in our desire to get at the heart of the country we seek out whatever it may be that is most unlike what we are used to, and declaring this to be the very essence of the French or American genius proceed to lavish upon it a credulous devotion, to build up upon it a structure of theory which may well amuse, annoy, or even momentarily enlighten those who are French or American by birth.
外国文学の園を逍遙することは外国旅行によく似ている。その国の住民なら何の奇もないと考えている眺めも、われわれの目には驚くべきものに見える。自国にいる時には、どんなによくその国のことばを知っているように思っていても、そのことばが生まれながらにしてそれを話してきた人たちの口の端にのぼると、ちがって聞こえてくる。特に、その真髄に触れようと望むあまり、平素慣れていることと最も似ていないものを、何でもかまわず捜し求め、これこそまさにフランス精神の真髄であるとか、アメリカ精神の精髄であると宣言して、その異質のものに惜しげもなく盲信的な熱意を傾けはじめ、それをもとにして,生まれつきのフランス人やアメリカ人ならば当然おもしろがったり、困ったり、一時的には啓蒙されたりさえするような理論の体系をでっちあげはじめるのである。
●(例題79)A strange-looking lame dog suddenly appeared on the scene, as if it had dropped from the clouds, and limping briskly after the astonished and frightened
sheep; drove them straight home and into the fold;
そこへ突然、まるで天からでも降って来たかのように妙なかっこうをした足の悪い犬が現れて、驚き恐れる羊のあとから、元気よく足をひきひきついてきて、まっすぐに家の方に追いたて、それから羊小屋に入れてしまった。
2011年11月7日