勝浦英語塾では、英語指導歴30年のエキスパートが、大学受験英語を通して、30年後にも通じる、生き方と在り方とその方向性を伝えています。 

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─── センター試験の廃止を (その6) ───

短距離走者かマラソンランナーか

じっくりものを考えるタイプにはセンター試験のゴールは遠い            
   

●198点と130点

 塾生のなかにA君とB君という2人の受験生がいる。A君は高校には進学しなかった。したがって学歴は中卒である。大学入学資格検定をパスして大学受験に挑んでいる。入塾前に受けたセンター試験で英語は49点。満点が200点だからほぼ25%の正答率である。

 センター試験が4択問題であることを考えれば、25%の正答率は、確率どおりのパーセンテージだ。問題文を読まないでデタラメに解答しても得点できる数字である。しかし入塾してから1年後に受けたセンター試験で、A君は発音問題を1問ミスしただけで198点。失点が2点だけという驚異的なスコアーだった。一方のB君は東大志望。センター試験は130点台だった。B君の本来の実力からすれば耳を疑うほど低い点数だ。

 かつうら塾では、A君は初級クラス(高1レベル)に、B君は上級クラス(高3レベル)に在籍していた。A君の学習は基本文法の理解と基礎英文読解が中心。かたやB君の方は、語い力、文法力、読解力のどれをとっても受験生のトップレベルだ。ふだんの授業で両者を見ていればその実力の差はあきらかである。

 しかし、センター試験のスコアーにはその実力の差が反映されないばかりか、A君とB君の点数は逆転すらしている。英語力を測る正確な指標だと思われている試験で、なぜこんなことが起こるのか。

●共通一次は必ず失敗する

 『親子関係は親分と子分だ』(KKベストセラーズ)のなかで、著者の小室直樹氏は共通一次試験を痛烈に批判している。センター試験の前身である共通一次試験が始まったのが1979年。同書はその5年後の1984年に出版された本だ。共通一次試験が発足した当時の生々しい話が載っている。以下はその箇所を要略したものである。

 小室直樹氏は、昭和7年生まれ。京大理学部数学科卒業後、阪大経済学研究科、東大法学部政治学研究科、MIT、ミシガン大、ハーバード大等、さまざまな国のさまざまな大学を放浪、自称、ルンペン学者。

 記述試験では得点できるのに、センター試験では思うように得点できないジレンマに陥っている受験生は、以下を読めば納得がいくだろう。

●「ともかくやってみよう」で始めたいい加減さ

 1978年に、共通一次が強行されそうになったとき、世間にはこれに猛然と反対した意見があった。しかし、永井文相や文教族は、これらに少しも耳をかそうとしなかった。「共通一次に君らのいう欠点があることはよく知っている。でも、ともかくやってみようではないか、批判はそのあとからでもよいではないか」と。 

 いまの時点からふりかえってみると、これは暴言としかいいようのないことばであるが、当時は、だれもそうとは思わなかった。

●共通一次試験はだれもが認める大失敗

 1981年2月23日、文部大臣として共通一次試験を実施した永井道夫は、参院予算委で、「私が実施した共通一次試験は成功したとはいえない」と告白。さらに、「試験を実施する大学入試センターは正常に機能していない」とまでいった。

 担当大臣の永井元文相を含め、与野党も日教組もマスコミも、共通一次試験が大失敗であったことを認めている。では、これはいったいだれの責任か。日本の教育改革がナンセンスであることのひとつは、失敗してもだれも責任をとらないことである。

●共通一次試験の致命的欠陥とは

 共通一次について、それがマークシート方式でおこなわれることから、いかにもニュートラルな試験であるという印象を受ける。しかし実際は大違いである。受験生のタイプや思考スタイルなど学力とは関係のない要素によって、得点に優劣が大きく出る。あの生徒は共通-次で苦しむタイプ、この生徒は共通一次向きであると一目で判別できる。

 一番のポイントは、問題文を読み、配列された選択肢から正解を選び出すスピードである。

 予備校では、共通一次の直前1ヶ月間は、生徒に大量の共通一次予想問題を与える。そこでは問題を処理するスピードと、選択肢を直感的に判別する訓練をする。共通一次で、現役生と浪人生の平均点の差が1,000点満中100点近くもあるのは、この直前練習ができる時間的余裕が浪人生にあるからだ。

 解答用紙のマ-クポジションを1ヶ所間違えると、あとの解答も将棋倒し的にすべてズレてしまう。このような注意力のない受験生は共通-次向きではない。2日間にわたる試験で350近い設問をこなす忍耐力のない受験生もダメである。学力以外に、スピード、直感力、注意力、忍耐力が大きくモノをいうのが共通一次試験なのである。

 受験生に精神的重圧はつきものだが、こと共通-次試験の生み出したそれは並大底のものではない。しかし、共通一次の真の恐ろしさは、さらに深いところにある。

●条件反射的人間をつくる

 第一の問題点は、生徒の人格を喪失させ、ネズミ人間に変身させてしまうことにある。共通一次試験はネズミの条件づけと同じことである。考えたら絶対に合格しない。ネズミに、青いランプがついたら、あの穴に入れ。しっぽに電流を流したら、飛び上がれ。これと同じ訓練をするわけだ。

 共通一次試験はコンピューターで処理される。コンピューターでは、独創的な答えとか個性的な解答は採点できない。そのため、条件反射的な答え方と、機械的な思考力と丸暗記しか要求されない。

●大量の丸暗記

 第二の問題点は、ひじょうに簡単で基礎的な設問が大量に出題されることである。ということは、たくさんの問題を解き、しかも高い点数をとるには、即決即断、条件反射的にならざるをえない。要求されるのは、高い能力ではなく、ミスをしない技術だけということになる。

 昔の大学では、たった3問の出題のうち、1問しか解けなくても90点もらったという類の話がざらにあった。解き方が優れているとか、才能の片鱗がみえるとかの理由で、わずか1問の解答でも合格できたのだ。

 私の京大数学科時代の先輩の話。数学の先生が3問中、最後の問いで次のような問題を出した。「今朝から考えているのだが、この定理は正しいのか、まちがっているのかわからない。もしも、正しければ証明せよ。誤りであれば、反例をあげよ」で、3問中、前の2問を解いた人は80点をもらった。ところが、前の2問は白紙で、最後の1問だけを解いた人が99点だったそうである。その先生からみて肝心なことは、答えそのものではなく、頭の働かせ方であったのだ。

 これこそ真の学問における試験というべきではないか。丸暗記すれば解ける問題を、いくら解いたところで、頭は開発されない。そして、受験勉強の欠点はまさにここにある。「共通一次」は、日本教育における諸悪の根源たる入試の弊害を極限にまでおしすすめ、致命的様相にまでいたらしめたものである。

2013年05月25日

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