音読のすすめ (10)
●歌詞とメロディはつながっている
サンシャイン3の巻末に、ドーンのヒット曲、”Tie a Yellow Ribbon Round the Old Oak Tree”(幸せの黄色いリボン)が掲載されている。曲はリズミカルでアップテンポだ。歌ってみるといたるところで単語がリエゾン(音の結合)するのがわかる。リエゾンに慣れていないと、歌詞とメロディが上手くかみ合わない。たいていは曲の速さに歌詞が追いつかず、フレーズを適当にごまかして歌うことになる。上手く歌うには慣れるしかない。洋曲の練習は滑舌と音読の訓練になる。
練習だからといって、「歌詞」と「メロディー」を分けて、「歌詞」だけを、あるいは「メロディ」だけを抽出し、あとからそれらを合成して歌おうなどとは誰も考えない。歌は、「歌詞」と「メロディ」が渾然と混ざり合い、それらが相互につながりあって、ひとつの統一された全体になっている。つながりあっているからこそ、歌詞を忘れても、メロディにつられて歌詞が浮かび、メロディを忘れても、歌詞につられてメロディが浮かぶ。
●リスニングとスピーキングはつながっている
会話も、リスニングとスピーキングという、別々の要素からできているわけではない。リスニングの練習をしても会話は上達しない。小鳥のさえずりをくり返し聞いたところで、小鳥のようにさえずるようにはならない。
会話では、双方向で言葉をやり取りする。「話し手」は、相手が聞き取れてないとわかれば、同じ言葉をくり返したり、言い回しを変えたりして、なんとか相手にわかってもらおうとする。「聞き手」の方も、聞き返したり、「それはこういう意味か?」と確認しながら、相手をわかろうとする。実際の会話では、顔の表情や、身振り手振り、声の大きさといった非言語的要素も加わる。
さらに、会話では「話し手」と「聞き手」という、はっきり対立した両者がいるわけではない。「話し手」は「聞き手」に、「聞き手」は「話し手」に、その立場はたえず入れ替わる。リスニングとスピーキングに、固定された境界線はなく、両者の役割は常に交錯し合う。
リスニングが会話の一部であるからといって、リスニングだけを切り出して、その訓練を積めば、会話が上達するかのように考えるのは間違っている。2006年にセンター試験にリスニングが導入され、すでに10年になる。さぞかし英会話が上手くなったと思いきや、学生のコミュニケーション能力が向上したという声は、企業からも、大学からも聞こえてこない。
逆に、「センター試験にこのテストが導入された頃から、英語の読み書き能力が一段と低下するという現象が生まれた(東大)」(『英会話不要論』 行方昭夫著・文春新書・p82)との声があがっている。
同書はこうも指摘している。「読解力は大学の学問でどうしても必要なもの。昔の入試ではまとまった英文全体を訳させていたが、今では問題文の内容について合致したものを選ばせる形式が出されている。従来の英文解釈問題とは違い、そのような形式の受験勉強をしたのでは、英文を読む力を伸ばすのに役立たない」(同p86)
●「スペリングの音」も「単語の意味」も関連の中で決まる
cat、half、rabbit、tall、airで、[a]の音はすべて異なる。[a]というスペリングの一部だけを切り出して、[a]の練習をしても発音は上手くならない。
strayの意味は、辞書には「道に迷った」「さまよっている」「家のない」とある。strayを文脈から切りはなして一つの単語として覚えようとしても、その意味は抽象的でつかみ所がない。だが、strayの後に名詞を置くだけで一気に具体性を帯びる。stray catは「野良ネコ」、stray sheepは「群れからはぐれたヒツジ」、stray cloud「はぐれ雲」、stray bulletは「流れ弾」。
冒頭に挙げた”Tie a Yellow Ribbon Round the Old Oak Tree”の歌詞の中に、”Bus driver, please look for me”というフレーズが出てくる。look forは「~を探す」だから、「ボクを探す」の意味だと思ってしまうが、そうではない。次には、”‘cause I couldn’t bear to see what I might see”と続いている。look forは「~を探す」ではなく「~の代わりに見る」の意味になる。「運転手さん、ボクの代わりに(黄色いリボンを)見てくれないか、ボクには恐くて見ることができないから」。
このフレーズは、山田洋次監督の『幸せの黄色いハンカチ』で、高倉健の代わりに武田鉄矢が黄色いハンカチを見てやる、あのクライマックス・シーンと重なる。
サンシャイン3のプログラム10-1に、Then the man struck a match to smoke.という文が出てくる。ここでは、「マッチを擦った」はstruck a matchになっている。だが、10-4では、When you struck the match to smokeと、struck the matchになっている。日本語では、どちらも「マッチを擦った」と訳すが、英文では、a matchでもthe matchでも、どちらでもいいわけではない。
最初に登場したmatchには不定冠詞aがつき、次に登場したmatchには「あのマッチ」という意味で定冠詞theがつく。登場する単語がnew informationならaになり、old informationならtheになる。名詞につく冠詞が、aなのかtheなのかは個別のセンテンスのなかで考えるのではなく、全体のなかの位置関係で決まる。
●納得のいく英語表記
英語が苦手な生徒ほど、個別の事柄に目が向き、単語や熟語や基本構文を暗記することが英語の勉強だと考える。英文を読むだけなら、それで間に合うかもしれないが、全体との関連を忘れ、バラバラにした要素をいくら詰め込んでも、英文を書いたり話したりできるようにはならない。いろいろな図柄のジグソーパズルから集めたピースをいくら持っていても、再現する図柄が違えば、そのピースは使えない。
東京ディズニーランドで、こんな注意書きを目にした。「危険ですから、走らないでください」。目を引いたのは、その英語表記だ。dangerというネガティブな単語は使っていない。don’t runという不粋な言い回しもしていない。”For your safety, please walk.”とあった。寄せ集めのボキャブラリーからはこういう英文は生まれない。
もう一つ目を引いた表記は、「優先席」だ。JRや地元の私鉄などで、”Priority Seat”と訳されているのを見るにつけ、安易な直訳としか思えなかった。ディズニーランドでは”Courtesy Seat”とあった。courtesyはgood manners(礼儀正しさ)とか、a kind action(親切な行い)の意味だから、はじめてまともな英語表記に出会った気がした。
●平易でまとまりのある全体
サンシャイン3のプログラム10に、O・ヘンリーの名作、”After Twenty Years”が載っている。物語は、親友の二人が20年後に再会してみると、一方は警察官、もう一方は指名手配犯だったという、O・ヘンリーならではのひねりのきいたエンディングになっている。原文を読んでみると、物語の親しみやすさとはうらはらに、中学生が読める英文ではない。本文は教科書用にリライトされている。どこがどうリライトされているか、原文と教科書を照らし合わせてみた。1例を挙げておこう。
・原文:The man in the doorway struck a match and lit his cigar. The light showed a pale, square-jawed face with keen eyes, and a little white scar near his right eyebrow. His scarfpin was a large diamond, oddly set. (39語)
・サンシャイン:Then the man struck a match to smoke. The light showed his face. (13語)
語数は、原文が1213語、サンシャインが403語だから、ほぼ33%に要約されている。わずか400語あまりの平易な英文で、込み入ったストリーが展開され、サプライジングな結末へと導かれる。
教科書の英文は、プログラムごとにまとまった内容を持つ。個々のセンテンスがつながりあって統一された全体になっている。自分の考えをどう組み立て、どう構成し、どう表現するかを、音読を通してまるごと修得するのに教科書ほど身近で手頃な教材はない。
2015年06月05日