With Flame, Without Frame
N・S 慶應義塾大学文学部 (2011年・高松高校卒)
“Education is the kindling of a flame, not the filling of a vessel.”
この英文を訳すと、以下のようになります。
「教育とは炎(flame)を燃え上がらせることであって、容れ物を満たすことではない」
有名な一節とはいえ、これだけで出典が分かった方はすばらしい。ソクラテスの名言です。私がかつうら塾で学び、勝浦先生のスタンスから受けた印象は、まさにこの一文に尽きます。
かつうら塾に入塾したのは、3年生の9月です。高校入学当初から大手英語塾に通っていたのですが、受験本番が近付くにつれ、英語を受験のための、ただの知識としてだけ詰め込むやり方に疑問を感じ始めていました。そんな時、友人に勧められてかつうら塾を見学し、大きな衝撃を受けました。
英語で「塾」は「a cram school」といいます。これは直訳すると「詰め込む(cram)学校(school)」になります。当代の受験教育そのものを言い表しているようで、興味深い表現だと思います。
はてさて、かつうら塾での学習は、そういった詰め込み教育とは正反対のものでした。そこは、こちらから学ぼうとしないと何も身につかない場所でした。
例えば、かつうら塾では、英文に初めから和訳がつけられています。「とりあえず和訳する」ことでその英文を「読解した」とするありきたりの受験英語学習とは違うのです。かつうら塾で求められるのは、文構造を把握した上で「どうしてそのような訳になるのか」を根本から考えることです。そして、これが意外と難しい。
語彙に関する問題(発音・アクセント・適語選択・空所補充など)もまた然り。勝浦先生は答えが合っていたからといって満足せず、その根拠を突き詰めてゆきます。「問題を解く」ことで学ぶというより、「解説を聴く」ことで学ぶ、といった感じでしょうか。そのうえ先生の説明が巧妙なものだから、英語への探究心がくすぐられ、英語学習がますます楽しくなりました。
そんな授業だから自然と姿勢が能動的になり、気がつけば純粋に知的好奇心から「チュンプルズ」を繰っている自分がいました。いつのまにか入塾前のスランプからも脱していました。人間は、パッシブからアクティブへと変わることで驚くほどに伸びるのです。このことは、毎朝先生から配信される「マーフィー博士」や「HILL’S MESSAGE」でも繰り返し語られています。
もちろん、心の持ち方だけでなく、知識やテクニックの面でも多くのことを学びました。あいまいだった細かな文法や語法の穴が埋められたこと、文構造を把握するためにカッコをつけ始めたこと。それらは、センター用だの、私大用だの、難関国立大用だのといった枠(frame)を超えて、英語を理解していく上で非常に有意義なものでした。
学ぶことは、知識を詰め込むことではありません。私たちはあくまで学ぼうとする主体であって、決して知識の容れ物ではありません。そして真の教育者とはきっと、生徒の知的好奇心に火をつけて自分から求めるように仕向ける人なのでしょう。まるっきり勝浦先生のことじゃないですか。
先生に煽っていただいた炎は、今も私のなかで確かに燃えています。願わくば、この炎が消えることなくこれからも英語を学ぶ原動力となってくれますように。最後になりましたが、勝浦先生、素敵な授業を、教訓を、生きたことばを、本当にありがとうございました。
2011年3月28日