選ぶということ
T・N 京都大学法学部 (2004年 高松高校卒)
法学部に行こうと決めたのは、3年の12頃です。それまでは、法学部か経済学部かで迷っていました。一方を選べば他方は捨てなければならず、自分の将来の可能性が狭くなるようで嫌でした。
この「選ぶ」ということを考えているうちに、こんなことを思い出しました。受験時代に苦労して読んだ英標の例題66に、”You can’t have your cake and eat it.”、という一文があります。同時に二つのことはできないという内容です。「同じ材料や同じ時間を利用しうる多くの可能な用途のうちで、どれが自分の選ぶ用途であるかを決めなければならない。そして同時に、それを決めたことによって、自分のあきらめた他の全ての用途が犠牲になるのだということを知っていなければならない」と続きます。
この英文の内容に関して、かつうら先生はこんなことを言っていたように思います。「コーヒーを飲むことは紅茶を飲まないということではない。コーヒー以外の全ての飲み物を飲まないことだ。また、飲むという行為以外の全ての行為を選ばないということだ。人生の選択は二者択一ではない。無限の選択肢の中から一つを選ぶことだ」と。
人は生きていく中で、さまざまな選択を迫られ、その都度何らかの決定を下します。選んだものの背後には、必ず捨てたものが存在します。生きるということは、自分が選んだ以外の全てのものを捨てるという営みです。実際にやりもしないで迷うのはおかしい。選ぶことを怖がらず、自分の選んだ道で、取り敢えずやってみよう。どうしてもうまく行かないようなら、そのとき引き返せばいいんだ。そう思い直し少し気が楽になりました。それからは落ち着いて勉強できました。
5教科7科目制のせいで、最終的に社会を3科目する羽目になりました。特に世界史はそれまでほとんど勉強していなかったのでかなり苦しみましたが、自分で選んだからにはやり抜こうと決め、もう気持ちは揺れませんでした。
世界史は、とにかく知識を詰め込む時間もなかったので、歴史の流れを意識して学習しました。例えば、16世紀、イギリスとドイツの人口は大きく増加しています。これは何故か。大航海時代の16世紀には新大陸が発見され、貿易の中心が大西洋岸に移りました。そのためネーデルラントの各都市は栄え、大量の消費材が必要だったのですが、それに目を付けたのが英と独でした。英は囲い込みを勧め羊毛の生産を増やし輸出、独は穀物の生産を増やし輸出しました。こうして両国で産業が活発化し、16紀の好景気が両国の人口を増やしたといえます。個々の出来事には関連がなく、てんでばらばらのように見えても、歴史の大きな流れには必ず因果関係が存在します。
複雑に絡み合ったその因果関係を読み解く際に、英文の構造を見抜く力が非常に役に立ちました。だらだらした日本語の文章を読んでいても、細かい余計な修飾語などをばっさりと省くことで、一連の出来事の核になる要素がはっきりします。英文解釈で、( )や[ ]で整理していくと、単なるSとVだけの文になるのと同じです。おかげで、世界史も短時間で見通しをつけることが出来るようになり、本番に何とか間に合いました。「選ぶ」ということは「整理する」ことです。何かを脇に置いて取っておくことではなく、きっぱりと捨て去ることです。文章がスッキリして、脳もスッキリします。
かつうら塾では、英語そのものを習ったというよりも、英語を通して物事を考える訓練をしていたのだと思います。中にいると分かりませんでしたが、こんなことを学ぶ機会はなかなか無い筈です。高校の三年間は貴重な時間です。かつうら塾でじっくりと悩んでください。