自信とはアースクエイクのことではない
O・T 久留米大学医学部 (2009年・高松高校卒)
高校3年の11月、校内模試の結果が知らされた。350人中350番、偏差値は27。ダントツの最下位だった。高校に入学してから部活や遊びに明け暮れ、ろくに勉強したことがなかった。悪い点数や最下位を取っても全く落胆はしなかった。むしろ、「友だちに話すおもしろいネタができたわ」ぐらいに考えていた。
まともな生徒であれば、センター試験まであと2カ月という時期に、校内最下位の成績をとればかなり落ち込んでしまうだろうし、気持ちを切り替えて猛勉強するかもしれない。けれど、僕は違っていた。
3浪してなんとか合格したいま、当時の自分をふり返ってみた。
高校時代は、少しくらい偏差値が低かったり、交友関係でトラブルがあっても深く気にせず、常に楽天的な考えを持っていた。
僕には友人が多く、けんかをすることがあっても、相手の価値観を認める努力をしてきた。人とのつながりを何よりも大切だと思っていたからだ。その結果、高校生活では、多くの友人と喜怒哀楽を共にすることができ、充実した日々が送れた。多少成績が悪くても劣等感を感じることなく、それをカバーできるだけの自信が自分にはあったように思う。この自信がどこから来るのか、当時の自分には、はっきり分からなかったのだが……。
かつうら塾では、英語の基礎さえ分かろうとせず、全く予習も復習もしなかった。僕にとって、勝浦先生の授業は意味不明で、猫に小判のようなものだったかもしれない。今から思うと、ていねいに予習と復習さえしていれば3浪もせずにすんだのではと後悔している。
しかし、授業の中で展開される先生の雑談は、学校では決して得ることのできない刺激をあたえてくれた。世の中の出来事やニュースについての勝浦先生の辛口コメントは、新聞もろくに読んでいなかった僕にはとても新鮮だった。
浪人中に毎朝送られてきたHILL’S MESSAGEのすばらしい言葉には、何度も勇気と元気をもらった。3浪もしていると、友人関係も希薄になり、友だちからのメールもめっきり減り、なんだか世の中から取り残されたような寂しさを感じていた。そんななか、遠く離れていてもいつも気にかけてくれる、勝浦先生のその心遣いがとてもうれしかった。
合格の報告に先生のもとを訪れたとき、こう言われた。
「偏差値なんて勉強すれば誰でも上がりますよ。でも、O.T.君は生きていく上でもっと大切なもの、心の朗らかさのようなものを持っていますね」
高校時代に抱いていたあの漠然とした自信は、このことから来ているのかも知れないと思った。
2012年4月5日