学校の意味
D・R 高松高校・2023年3月某日・1年で中退
●退学してからの今
学校を退学してから半年ほど経った。学校のない日常にも慣れた。勉強において学校に行かずに困ったことはない。むしろ勉強のために学校に行くのは非効率だと思っている。学校をやめてから偏差値は右肩上がりで、特に国語に関しては10以上あがっている。結果が出ればモチベーションが上がる。僕は今まさに勉強の上昇のスパイラルの真っただ中にいる。
●かつうら塾と学校の授業
かつうら先生の授業は本当に素晴らしい。「かつプリ」から始まりゆっくりと勉強のエンジンをかけていく。ゆっくりと始めるから集中でき2時間があっという間に過ぎていく。その日に取り組むプリントがあらかじめ準備されていて、時間いっぱいそれに集中できるようになっている。他にも様々な工夫が施され、充実した2時間が組み立てられている。これらはかつうら先生の授業への信念と、先生の英語学習の経験から成り立っている。自分の勉強にも取り入れたいものばかりだ。
それに対して学校では、始業のチャイムから終了のチャイムまで、教科書の内容を淡々と進めるだけの授業がある。始業のチャイム早々、こんなことを言いだす先生もいた。「まだ休み時間の余韻が残っている、勉強の雰囲気じゃない、自習にする」。授業への信念や熱意など感じられない。先生自身が単に授業をしたくないだけなのだと思った。
●テストの弊害
学校では様々なテストがある。「定期試験」「基礎力テスト」「全国模試」「校内模試」。これらすべてを含めると月に1回はテストがあることになる。これではどのテストに力を入れればよいのか分からない。間近に次のテストが迫っているので、終わったテストの反省や復習する余裕はない。
学校がテストについてどういう考えを持っているのか分からない。テストは勉強の弊害でしかない。自分の意思で模試を申込み、それに集中する方が偏差値は伸びる。偏差値は「テストで伸びるのではない」「勉強で伸びる」。こんなことすら分かっていないのか、分かったうえでやっているのか、どちらにせよ学校は何を考えているか分からない。
●仕事として仕方なく行われる授業
学校をやめてから一番苦手だった国語が伸びた。それは学校では教科書の内容しかやらなかったから。漢文にも英語と同じで文型がある。英語と違い、漢文では言葉と言葉がくっついているから分かりにくい。それさえ見抜くことができれば、読めない漢文なんてない。英語に関しても同じ。学校では教科書を読むだけで文法なんて教えてくれない。さいわい1年生からかつうら塾に通っていたので英語は楽しく読めている。やっぱりかつうら塾はすごい。
学校は教科書の内容しかやらない。授業に信念と責任がない。仕事として仕方なく授業をやっているようにしか見えない。
●それでも楽しい学校
ここまでアンチ学校を述べてきたが、学校には行くほうがいいと思う。楽しいからだ。学校には友だちもいる。部活も楽しい。体育祭や文化祭、クラスマッチ、遠足、修学旅行など数えきれないイベントがある。僕のように退学になるなんてことはないだろうが、学校にいさせてくれるうちは学校にいることを勧める。学校に通っている皆さんは全身全霊で楽しんでください。
2023年10月29日