机上の知識

 

     机上の知識

W・Y  東京大学文科三類 (2004年 高松高校卒)

私が合格通知を手にしてから6週間、入学式から2週間がたった。受験勉強という大きな負担から解放され、受験勉強について振り返ってみた。

大学のクラスで現役生は7割。さらにその7割が中高一貫校の出身である。受験勉強のことが入学後のコンパで話題になったが、彼らのものすごい勉強量には驚かされた。私も人並みに勉強してきたつもりだが、彼らの高校3年間の勉強量には及ばない。これは東大に限ったことではなく、どこの大学を受けても、公立校と私立の中高一貫校の間にはその生徒の学力面での差は大きいと思う。

公立校の生徒は、こういう彼らと競い合い、同じ入試を受けるわけだが、彼らの真似をしても絶対に追いつけない気がする。では何かすばらしい勉強方法でもあるのかと言えば、私にはその期待に応えられない。知っていたら浪人などしていない。それぞれが身の丈にあった勉強をすることだろうと思う。ただ精神面で付け加えたいことがある。

それは受験生である以前に18歳の人間であるということだ。同じ18歳で、オリンピックに出るほどのスポーツ選手もいれば、社会人になって働いている人もいる。すでに結婚し子供がいる人もいるだろう。18歳というグループのなかで大学受験の道を選ぶ人はその一部に過ぎない。受験生であっても、社会との関係があっての受験勉強だ。

私は、新聞を1時間以上かけて読み、毎週AERAを必ず読んできた。入試の前でもそれは欠かさなかった。もちろんこれは机上の知識であって生きた知識ではないが、大学に入り討論の場などでは力を発揮している。社会や政治経済、芸術やスポーツでも、あまりにも無知で何も考えていない学生が多過ぎる。試験の点に直接関わらない知識も、生きていく上では大きな武器である。

今この文章を読んで受験に対する不安が増した人がいるかもしれない。誰でも不安である。誰でも悩むものである。それは自分の実力以上のことを望むからだと思う。私が東大を目指したのは12月からだ。それまでは一橋大志望だった。志望校の変更には大いに悩んだ。本番の試験の真っ最中でも後悔した。ただ私の考えたことは自分の力を出し切ることだけである。入試の合否は他人のデキに左右される。必ずしも自分の思い通りになるわけではない。だからある意味で落ちても仕方ないと開き直ることも必要だと思う。

最後に、入学式での総長の話にいたく共感したところがある。それは卓越性への追求であり、向学心とか向上心のことだ。自分より優れた他人に圧倒されることによってその他人から学ぶことであり、その心を失ったものは不幸である、という話だ。勉強に限らず、私には良きライバルがいた。常に前向きな心を持てたのも彼のおかげかもしれない。

勉強以外のことで、主に男子学生にアドバイスしたい。料理を覚えよう。洗濯や掃除は何とかなる。ただ料理は大変だ。食は基本だ。近ごろ痛切に感じている。