かつうら塾は美しい
M・C 立命館大学映像学部 (2024年高松第一高校卒)
私はひょんなことから芸術家を目指している。「美しさ」とは鍛え上げられた技術そのものだと思う。本当に美しいものは、どんなに小さくとも他を圧倒するほどの「美」を放つ。
英語をきちん学べば、広範囲にわたって秩序が存在することがわかる。一見すると無秩序に見えても、それは複雑なだけで、やはり秩序だっているのである。かつうら先生の英語の技術は、まさに「美」を体現していた。
私が入塾して授業を受けた時、その「美」に驚き、また、感動した。わかりやすい。それでいて洗練されている。あまり感情を表には出さない私だが、心の中では常に興奮していた。塾に行くのが嫌だと思うことは一度もなかった。「美」に触れ学ぶことが出来ることをいつも楽しみにしていた。
かつうら先生は英語のソクラテスともいえる。日本随一の大ベテランだ。私が予習をどれだけしていても詰めが甘い。[ ]の範囲を間違えたり、itの正体を間違えたり。かつうら先生の質問によってそれが次々と暴かれていく。このような指導方法は、我々生徒にミスから目を背けさせない最適な指導方法である。問答法に近いシンプルかつストイックな指導は本当にソクラテスなのだ。
残念ながら家庭の都合により2年生の途中で辞めざるを得なかったが、辞めた後もそれまでに学んだことを発揮できたと思う。
このような素晴らしい授業を受けていたにも関わらず、2年生の時には成果を上げることが出来なかった。むしろ1年生よりダメになっていったと思う。少し前にできたことができない。初歩的なことでさえできない。声さえほとんど出せないこともあった。
これは勉強とは関係なく、数年来の苦悩が進行し、精神的にやられてしまったからだ。長い間苦しみ、3年生の夏にようやく克服することができた。どんなに素晴らしい授業でも、どんなに好きな英語でも、精神的に病むと何もできなくなる。これを読んでいる人は何よりも心の健康を大切にしてほしい。元気であればなんだって出来るから。
そう考えると、かつうら先生はいつもポジティブで、何年もかけて積み上げていったものに自信があるのだと思う。私は苦悩を跳ね除ける前にやられてしまったが、そうなる前に自信をつけて欲しい。どんな自信であっても、病とは直接関係なくても、きっと味方になってくれるはずだ。
これからも、かつうらで学んだことを、英語はもちろん映像に関しても、高みを目指し研鑽していこうと思う。かつうら先生のように圧倒的な「美」を作り上げていくのだ。
最後に私が苦悩を乗り越えたきっかけを書く。それは夢だ。世界中に作品を届けたい。憧れのかつうら先生に元気なところを見せたい。なんでも良い。大切な夢が描けたら、立ち直って前に進み出せる。
2024年2月23日