新聞記事が幻想をふりまく
こんな記事を鵜呑みにすると、英語教育の実態を見誤る。
実用的な英語力を養う――共通テスト対策授業
■日本語使わず30分
「Nice to meet you.(はじめまして)」「How is the weather today?(天気はどう?)」
新潟県の私立加茂暁星高校(加茂市)の普通科探究コースのクラスでは毎週火曜、オンラインを活用した英会話の授業を行う。生徒一人ひとりが、パソコン画面の向こう側にいる外国人講師と英語のみで30分間、l対1のレッスンを受ける。自由に会話する「フリートーク」や、英検の面接対策などあらかじめ用意された教材も学べる。
「最初はまったく英単語が出てこなかった生徒も、1年でそれなりに意思疎通ができるようになってきた」。授業を担当する矢部利充教諭(46)は手応えを感じる。昨年はコロナ禍で中止になったが、修学旅行では毎年シンガポールを訪れ、学んだ英語力を実践で試す。
同校が導入したのは、オンライン辞書サービスなどを手がけるウェブリオ(東京)が学校向けに提供する「Weblio英会話」だ。講師の多くがネイティブで、週に1回、英語漬けの時間をつくることで「話す・聞く」能力を養う。
西村香介校長(58)は「地方では外国語指導助手を採用するのも難しく、生の英語に触れる機会が少ない。ICT(情報通信技術)を活用することで、都市部の学校との教育格差の解消にもつながる」と話す。
■BBCや英字紙も
教科書の内容にとどまらず、「生きた英語」の素材を授業に活用しているのは、秋田県立秋田北高校(秋田市)だ。
2月中旬、2年生の「コミュニケーション英語Ⅱ」の授業。佐藤康一教諭(51)が英語での寸劇の音声を流し始めた。高校生とカフェの店主との何げない会話で、新型コロナワクチンなどが話題に上った。生徒には会話の内容を問う小テストの紙を配り、やり取りの理解度を測る。
続いて黒板に映し出されたのは、英BBCのニュース映像だ。英国内のコロナ対応の課題を報じた3分弱の映像を操り返し視聴。生徒らはグループに分かれ、「トピックは」などの問いについて議論し、代表者が黒板に回答を書き込む。
最後に佐藤教諭が配ったのは英字紙の記事だ。生徒一人ひとりに担当を割り当て、要約する宿題を課した。50分間の授業で、教科書は一切使わなかった。
以前は教科書に沿った授業が9割ほどだったが、今は教科書6割、ニュース素材など4割という。佐藤教諭は「教科書はテーマが古く、素材も評価が定まったものが多い。それより今起きているニュースを取り上げ、『自分ならどうする』という視点で考えてもらいたい」と話す。
同県の教育専門監で、同校の進路指導を担当する杉田道子教諭(54)は「読む・聞く・話す・書くをバラバラに学ぶのではなく、ニュースを見たりコミュニケーションを取ったりするなかで、バランス良く学ぶことが重要。それが結果的に受験対策にもつながる」と強調する。
読売新聞 2021年2月25日
●頭の中は日本語がいっぱい
「日本語使わず30分」という小見出しからは、あたかも30分間ずっと英語をしゃべっているかのような印象を受ける。
だが、実際は、「How is the weather today?(天気はどう?)」と聞かれると、どう答えようかと、頭の中では日本語が駆け巡る。
<曇っていて、今にも雨が降りそうな雲行きだ><だけど、これを英語で言うのは難しい><Fineと言っておくのが無難かも><雨が降っているわけではないから、fineはウソではない><そうだ、ここはとりあえずIt is fine today.と言っておこう>
物理的に口から出るのは英語でも、考えているときの言語は日本語であって、「英語で考え英語をしゃべる」わけではない。
同じように、相手がしゃべる英語を聞く場合も、「英語で英語を理解する」わけではない。どこかで日本語に翻訳して了解している。
こう考えると、30分のうちの半分は日本語ということになる。
「最初はまったく英単語が出てこなかった生徒も、1年でそれなりに意思疎通ができるようになってきた」
1年間、1対1のオンラインのレッスンを受けるとあるが、学校には、春、夏、冬の長期休暇があり、その他の学校行事で、授業がつぶれる日もある。実際に受講するレッスン回数は年間で20回ぐらいのものだろう。
ボーッと読んでいると、実質20回の授業しかないのに、年間50回の授業を受けるのかのごとく早とちりしてしまう。しかも、30分の授業で、相手も半分はしゃべるのだから、自分がしゃべるのは15分。さらに、英語が口から出る前の頭の中は日本語が渦巻いている。
「1年で英語でそれなりに意思疎通ができるようになってきた」と記事は言う。
「意思疎通ができる」ではない。断言を避け、「それなりに」と形容詞がついている。それはそうだろう、30分のオンラインレッスンをたかだか20回受けたくらいで、英語がしゃべれるようになるはずがない。「それなりにできる」は「ほぼできない」と同義と考えたらいい。
「なってきた」は、「なった」とはニュアンスが違う。こう表現するのは、言い切ることがはばかられると考えたからだろう。
●修学旅行で英語を試す?
「修学旅行では、毎年シンガポールを訪れ、学んだ英語を実践で試す」と記事はいう。だが本当か。
文脈からは、オンラインの授業を1年受けたら、修学旅行先のシンガポールで現地の人々とあたかも英語で国際交流をしているかのような印象を受ける。
学生時代の修学旅行を想像すればいい。修学旅行先が沖縄だからといって、沖縄の人と交流するわけではない。貸し切りバスで観光スポットを巡り、土産物店で買い物し、ホテルの大食堂でクラスメートと食事をするのが修学旅行。
旅行先がシンガポールであっても事情は変わらない。現地で使う英語は「ハウマッチ」と「サンキュー」ぐらいのものだろう。
●田舎に外国人はいない
「地方では外国語指導助手を採用するのも難しく、生の英語に触れる機会が少ない」
この記事が示す内容は矛盾をはらむ。猫も杓子も「国際化だ」「英会話だ」と言いながら、地方に外国人はいない。外国人の教師もいなければ、旅行者もいない。
地方にいて生の英語に触れる機会はない。機会がないのだから、その必要性もない。それにもかかわらず、「話す・聞く」能力を養わねばと記事は言う。
そもそも、日本人同士であっても、人から道を聞かれることなど生涯で数回あるかないか。まして、外国人から道を聞かれることなど皆無だろう。今の時代、かりに道に迷ってもスマホで位置情報を検索できる。人に道を聞くことなどさらにない。
●英語で議論?
「BBCの3分弱のニュース映像を繰り返し視聴し、グループに分かれ議論する」とある。
これを読んだ読者は、ニュース映像を元に活発に議論する高校生の姿を思い浮かべるかも知れない。しかし、記事は、「英語で議論する」とは言っていない。もしそうなら、「英語で」と誇らしげに書くはず。
「繰り返し視聴」と言うが、もし「繰り返し」が10回を意味するなら、視聴するだけで50分の授業時間の内30分も費やしてしまうことになる。したがって、ここで言う「繰り返し」は、せいぜい2、3 回だろう。
英語のニュース映像を3回視聴しただけで、即興で議論ができるスーパー高校生などいるはずがない。
私自身、ニュース記事についてネイティブと議論するときは、精読と音読(音源付き)を含め10回はニュースに目を通し、入念な下調べをしてから臨んでいる。
「グループに分かれて議論する」という描写から、私の目に浮かぶのは、高校生が数人のグループになって、とりとめのないことをボソボソと日本語でささやき合っている光景でしかない。
2021年4月7日