はじめに
●学習効率は5、6倍、向上する
本書の原型は、いまから20数年まえにさかのぼる。はじめはほんの数ページの小冊子にすぎなかったが、年を追うごとにページ数が増え、1996年にはバージョン3.0になった。それでも総ページ数はわずか28ページ。
記憶をたどると、いちばん最初に作ったページは「不定詞」。本書ができるまでは、授業で、不定詞が出てくるたびに「不定詞とは……」を、ところせましとホワイトボードの全面をつかって解説していた。『ロイヤル英文法』(旺文社)では、不定詞の項だけでも40ページもある。1回の板書では足りず、生徒が写し終えるのをまって、解説を加えながら書いては消してをくり返した。教えるという作業は肉体労働のようなところがあった。
こんなわずらわしさがあって、あらかじめ準備しておいた「不定詞」のプリントを配り始めたのが本書を作るきっかけになった。
本書を使うことで、教師が板書する時間と、生徒がそれを写し取る時間が省かれ、授業効率は大幅にアップした。教室にホワイトボードはあるが、まれにしか使っていない。大学入試に不可欠な重要項目の大部分を、本書はカバーしている。その結果、教師にとっても、生徒にとっても、板書という前近代的な作業は不要なものとなった。
もっとも、効率化は必ずしもプラスとは限らない。こんなOBの感想もある。
― 本書のできるまえは、板書とともに猛スピードで展開される解説を、ひたすら雑記帳に書き留めていた。それを家でじっくりとノートに整理し直すと、よく頭に入った。あらためてノート作りをしたことが、効果的な復習になり、それで理解が深まったと思う ―
●2万時間のエッセンス
「不定詞」の次に作ったのが、「英文解釈の視点」。英単語や熟語とは別に、大学入試の英文が正確に読めるようになるにはいったい何が必要かを考え抜いて、上記のようなタイトルになった。この「英文解釈の視点」に挙げた着目点は、20数年たった今も、まったく変わっていない。
実力次第で給与が決まる都内の大手予備校で、もまれること3年。地元の予備校や公立高校の講師を経て、入試英語に精通していった。文法解説をする際に、市販の参考書は、どれも帯に短したすきに長しで、自分が納得できる参考書は、自ら作るしかないと決意した。
これまでの授業の総時間数は2万時間を超える。一般に、1万時間でその道のプロと言われているが、2万時間はその倍にあたる。授業という実践の場で、生徒がどこでつまずき、どこで混乱し、どこで行き詰まるかを、常に目の当たりにし、熟知している。その体験と知見を元に、加えたり、削ったり、わかりやすさを目ざし改訂してきた。これまで、改訂してきた回数は10回に及ぶ。
●見開き2ページという一覧性
それぞれのセクションは見開き2ページにしてある。とくに文法事項は、1項目を見開き2ページに収まるように努めた。わずか2ページの分量でも、英文法に関しては、あらゆる入試問題に対応できるようになっている。このことは20数年にわたって塾生が使ってきたことで実証済み。
先に挙げた『ロイヤル英文法』では、「不定詞」は40ページ。40ページもあったのでは、手短に要領よく頭に入れるのはむずかしい。本書では、その40ページ分を2ページに濃縮してある。見開きなのでひと目みて、「不定詞とは何か」の全体像が容易につかめるようになっている。
これは「紙辞書」と「電子辞書」の関係に似ている。「紙辞書」でenoughを引くと、enoughには、「形容詞」「名詞」「副詞」の意味があり、その全体象がひと目でわかる。一方、「電子辞書」では、小さな画面で目にできるのは、「十分な」という形容詞の意味だけで、スクロールしていかないと、全体像は見えてこない。
●「部分」と「全体」の関係をつかめ
文科省の提唱する「コミュニケーション英語」へのシフトによって、高校で「英文法」という授業名は消え、文法軽視はとどまるところを知らない。英文法をもとにして、まともに英文が読める生徒は、教師も含め、どんどん減っている。
5文型のなかで、特に第5文型(SVOC)が大事だからといって、第5文型だけがわかればいいというものではない。Oの理解には、第3文型(SVO)がベースにあり、Cの理解には第2文型(SVC)がベースにある。さらに付け加えれば、Oの理解には、他動詞と自動詞の判別が欠かせない。
「時、条件の副詞節の中では未来を表すwill は使えない」という、高1英文法の、いわばハイライトがある。受験で必須の文法事項なので、受験生なら誰でも知っている。しかし、これをきちんと説明できる生徒は少ない。重要だからといって、フレーズだけを暗記しても意味はない。これを理解するには、「副詞節」とは何かがわからなければ始まらない。
「副詞節」の理解には、まず「名詞節」の理解が要る。さらに「名詞節」の理解には、名詞の働きを理解しておく必要がある。そして名詞の働きとは、S、O、Cの理解であって、これは文型の理解にほかならない。
逆に言えば、S、O、Cの上位概念に「文型」があり、「文型」の上位概念に「節」がある。こうした英文法の立体構造が見えてはじめて「副詞節」とは何かがわかるようになる。このように段階を踏んで論理的に理解を深めていかないと「副詞節」の理解にはたどりつけない。英文法を無視した現在の高校教育では、こうした一歩一歩コマを進めるようなアプローチを行っていない。その結果、「if節や、when節では、willを使ってはいけない」という、とても英文法とは呼べない乱暴なルールがまかり通ることになる。
●立体構造としてつかめ
本書では、「節の考え方」と題して、強調構文も含めて、「節」のもつ立体構造を、1ページ全体を使って図示した。
また、「文中で~ingを見たら」と題して、「動名詞のing」と「現在分詞のing」がどういう関係にあるかを、分詞構文も含めて、1ページ全体を使ってその立体構造を図示した。
さらに、「動名詞」「分詞」「不定詞」の3つは、同等の並列関係にあり、「準動詞」という上位概念でくくれることがわかる。3つの関係を立体構造として把握することで、上から俯瞰することができるようになる。そうすると、「動名詞」「分詞」「不定詞」には、ある動作を「①だれが」「②いつ」行うかという、動作にまつわる2つの重要事項が共通に含まれていることが理解できるようになる。
「部分」と「全体」の関係は、旅行にたとえればこんな話になる。高松から東京に向かう場合、高松 → 岡山 → 新大阪 → 東京の全旅程が頭に入っていれば、間違って博多行きに乗ることはない。行き先の違うローカル線に迷い込むこともない。高松を出て今どこにいるのか、東京まではあとどれくらいなのかも容易に把握できる。
文法学習の現状では、「全体」との関係を忘れ、「部分」にとらわれ、自分は今どこにいて、自分がやっていることが、どこへつながっているかを見失っている生徒は大勢いる。
●なぜ [ ] なのか ― ①
次の英文を訳せ。
We often hear it said that fathers want their sons to be what they feel they cannot themselves be.
多くの卒業生が「体験記」のなかで、[ ]や( )をつけることで、英文の意味がよくわかるようになったとコメントしている。その原点は英文の構造分析にある。複雑な英文に出くわすと、だれしも、読むスピードをゆるめ、立ち止まって文の切れ目を考える。人は、よくスラッシュを入れる。おそらく以下のように入れるのが一般的。
We often hear it said / ①that fathers want their sons /② to be what they feel /③ they cannot themselves be.
しかし、このような複雑な文になると、スラッシュを入れただけでは、解決にならない。音読するときに少し読みやすくなったと感じるぐらいで、意味がよくわかるようになるわけではない。
英文の構造は、英文法と同じように立体的になっている。スラッシュだけでは、文の切れ目や、語句のかたまりは見えても、そのかたまり同士が、どのような関係にあるかまでは見えない。
上記の英文の構造はこうなっている。
We often hear it said [that ~ ].
itは、that節を受ける。it = [that ~ ]
[that ~ ]節の中身: fathers want their sons to be [X].
「父親は息子にXになってもらいたいと思っている」
[X]の中身:They feel [they cannot themselves be what]. は、
「父親は自分はwhatになれないと感じている」の意味。
what they feel they cannot (themselves) be.は、関係代名詞whatが文頭に移動したもの。(themselves)は父親を指し、再帰代名詞の強意形。
We often hear it said[that fathers want their sons to be [what they feel [they cannot (themselves) be]]].
「われわれは、父親は自分自身にはなれないものに息子がなってくれるのを望んでいる、というのをよく耳にする」
このように、この英文の構造を分析してみると、先にあげたスラッシュの入れ方は問題だとわかる。①と③のスラッシュは、節の切れ目に入れたスラッシュなので合理的だが、②のスラッシュは合理性を欠く。
②は、S V O C(S want their sons to be~)で、目的語(their sons)と補語(to be~)の間にスラッシュを入れてしまっている。このようにS V O Cで、OとCの間を分断してしまったのでは、英文は読めなくなる。実際、この英文を正確に読める生徒は、極めて限られている。
●なぜ [ ] なのか ― ②
もう一つ例を挙げておこう。
I don’t know what I said or even if I said anything.
この英文にスラッシュを入れるとすれば、一般的にはこうなる。
I don’t know / what I said / or even if I said anything.
その結果、次のような誤訳が生まれる。
(誤) 私は何を言ったかわからないし、たとえ何かを言ったとしてもわからない
スラッシュを入れただけでは、英文のもつ立体構造をとらえきれなくて誤訳に陥る。
[ ]をつけて構造分析すると:
I don’t know[[what I said ]or [even if I said anything]].
(正)I don’t know [[名詞節] or [名詞節]].
(誤)I don’t know [名詞節] or [副詞節].
正しい訳は、「私は何を言ったかわからないし、何かを言ったかどうかさえもわからない」
※この英文の解説は、別角度から詳述。(§21-2)
このように[ ]は、英文の構造を読み解くうえでの強力なツールとなる。改訂に際しては、[ ]のつけ方を、4ページにわたって例示した。
●どこからでも、何度でも、マメに開けよう
本書の構成は、大ざっぱに分けると、§1~§30までは英文法が中心。それ以降は単語や熟語を主に扱っている。
高1の授業は4月に始まり、文法解説(§1~§30)の部分は6月ごろまでに終える。約3ヶ月で、英文を読むのに必要な英文法の説明をおおむね終えてしまう。各セクションの解説は、5分から10分、長くても20分。
先にも述べたように、授業ではホワイトボードを使った板書は行わない。わずか5分から20分であっても、その解説の内容は濃い。授業は本書を使って快適に進む。各セクションを20分で終えれば、30セクションを600分、すなわち10時間で終えることになる。倍の時間をかけたとしても20時間。
前述の『ロイヤル英文法』は大著で、ページ数は900ページ。これを20時間で読破し、理解するのはムリだが、本書なら、難なくこなせる。わずか3ヶ月で、英文法の概要を身につけてしまえば、のちの英語学習のパフォーマンスは飛躍的に向上する。
一通り解説を聞いたからといって、理解できるわけではないが、理解はムリでも、英文法の全体像は飲み込める。英文法の全体が見通せるようになると、「部分」と「全体」との関係がよく見えるようになる。細部の文法事項を学ぶ際に、迷路に入り込むことも、自分を見失うこともなくなる。
本書を覚えようとして、1ページ目から順を追って覚えようとしても、すぐにいやになるだろう。よくわからない箇所に出くわすたびにあれこれ考え込んでいると、まったく前に進まなくなる。その結果、途中で投げ出すことになる。本書を習得するには、じっくり考え込むよりも何度もすばやく繰り返したほうがいい。何度も読んでいるうちに、ああそういうことなのか、と後で理解できることはよくある。本書は、さーっと目を通せば理解できるようにビジュアル的に作ってある。
授業では、同じページを幾度となく開く。開く回数は、2、3回ではない。2、30回でもない。場合によっては100回を超える。これに、自己学習で開く回数を加えれば、その回数は2、300回に及ぶ。
本書は、辞書のように、ことあるごとに何度でも引いて欲しい。くり返し引いているうちに、ムリに覚えようとしなくても、結果的に頭に入ってしまう。
●「1日10個なら、10日で100個おぼえられる」は失敗する
100個の英単語を10日で覚えるのに、1日に10個ずつ覚えていけば、10日で100個になる。一見、合理的にみえるが、100個目を覚えているころに、最初の10個は忘れてしまう。それよりも、毎日100個すべてに目を通し、それを10日くり返した方が、よほど頭に残る。
『新・基本英文700選』(駿台文庫)の人気は高い。これを暗記しようとする受験生は多い。50ずつなら2週間、100ずつなら1週間で仕上がる、とだれしも考える。しかし、このように分割して覚えようとして上手くいった受験生を知らない。小分けに分割した結果、ことごとく途中で投げ出している。1~700までを1ユニットのまとまりとしてとらえ、それをくり返すほうがいい。挫折しないでやりとげるコツは、覚えられなくても委細かまわず、できるだけ短期間で全体を繰り返すのがいい。
うるし塗りでは、バカ塗りと言われるほど何度も何度もうるしを塗り重ねる。私は、この何度も塗り重ねるうるし塗りのやり方で、さまざまな教材を攻略してきた。
『英文標準問題精講』(320回)・『新・基本英文700選』(550回)・『和文英訳の修業』(180回)・『改訂 英作文の栞 』 (60回)・『英語は絶対勉強するな』(CD・180回)・『DUO 3.0』 (CD・40回)・『速読英単語必修編』 (CD・300回)。
( )内の回数は、音読回数とシャドーイング回数の合計。
●どんなに遠い道のりでも必ず到達する
私の暗記の原点は、「ういろう売りの台詞」にある。「ういろう売りの台詞」は歌舞伎の台詞だが、滑舌の訓練になると聞いて、音読を続けていた。ある日、目で追っている箇所よりも数語先をしゃべっていることに気づいた。ひょっとしたら暗記しているのでは、と原稿を伏せてみると、案の定すらすら言えるようになっていた。「暗記しようとせずに暗記してしまう」を、身をもって体験した衝撃の瞬間だった。そういうことなのか、と身体には激震が走った。
「量質転化」という法則がある。量が、ある一定量を超えると、その質が変化する。スプーンで1杯ずつバスタブに水を溜めるとする。スプーン1杯の水はわずかだが、水を入れ続ければ、バスタブはいつか必ず水でいっぱいになる。満杯になった後の、次のスプーン1杯の水で、バスタブからは水があふれ出す。この1杯は、オーバーフローという決定的な質の変化をもたらす。
残念ながら、多くの人がこの最後の1杯にたどり着けずに諦めてしまっている。大きなバスタブに対してスプーン1杯の水は、感覚的にはゼロに等しい。無駄としか思えないから、こんなことをくり返して何になる、と大抵の人は止めてしまう。1/10……3/10……5/10……7/10……9/10と、徐々に溜まっていくにつれて、だんだん実感できるようになっていく。そして、ついに満杯になりオーバーフローが起こる。多くを期待せず、心を無にして淡々と続けていれば、経験から言って、その日はだれにでも必ずやって来る。
●あまりに平凡なことわざ ― ちりも積もれば山となる
「量質転化」の法則は、ヘーゲルの『小論理学』(岩波文庫・上巻p.325~327)や、『弁証法はどういう科学か』(三浦つとむ著・講談社現代新書・p.207~221)に詳しい。いちど目を通しておくと、ややもすると単調で無味乾燥になる反復くり返しを、モチベーションを下げずに、淡々と行うことができる。
「量質転化」というと、むずかしく聞こえるが、かけ算の九九を覚えたときのことを思い起こせば、「くり返せば覚える」は、だれしもが経験している。ただ、だれしもが経験し、わかっていながら、その実践はむずかしい。むずかしいからこそ、古人は、その知恵をことわざに落とし込んだに違いない。その知恵は、洋の東西を問わない。
・門前の小僧、習わぬ経を読む
・ちりも積もれば山となる
・急がば回れ
・Habit is a second nature. 習慣は第二の天性
・Haste makes waste. 急がば回れ
・He who shoots often, hits at last. 何度も射れば、最後には当たる
・Practice makes perfect. 習うより慣れろ
・Rome was not built in a day. ローマは一日にしてならず
・Slow and steady wins the race. ゆっくり着実にやれば必ず勝つ
・The last drop makes the cup run over. 最後の一滴がコップをあふれさせる
・The last straw breaks the camel’s back. 最後の一本のワラがラクダの背中を折る
「ことわざというものは、それが真理であることを親しく体験しない限りは、つねに平凡なものである」(『英文標準問題精講』練習問題【99】)
Proverbs are always commonplaces until you have personally experienced the truth of them.(ALDOUS HUXLEY, “Jesting Pirate”)
●かんたんなことから、すぐにできることから手をつけよう
勉強は、やらなくてはと思いながら、だれしもなかなか取りかかれない。アランは、『幸福論』
(岩波文庫)のなかでこう言っている。
よい仕事だと思いながら、していない仕事がわれわれの前にはたくさんある。刺繍もはじめは楽しくない。しかし、縫い進むにつれて、その楽しみは加速度的に倍加する。何ひとつ期待することなく始めなければならない。期待がやってくるのは、仕事がはかどってからである。ミケランジェロは頭の中であのような形象をすべて考えた後、描いたとは、ぼくには思えない。ただ彼は描きはじめた。すると、諸人物があらわれてきた。描くというのはそういうことだ。― (同書、始めている仕事、より)
ヒルティの『幸福論』(岩波文庫)では、こうある。
何よりも肝心なのは、思い切ってやり始めることである。机にすわって、心を仕事に向けるという決心が、結局いちばんむずかしい。ある人は、始めるのに、ただ準備ばかりしていて、なかなか取りかからない。またある人は、興味がわくのを待つが、興味は仕事に伴ってわくものなのだ。大切なのは、事をのばさないこと、気の向かないことを口実にせず、毎日、一定の時間を仕事にささげることである。― (同書、仕事の上手な仕方、より)
賢人が言うように、勉強は、取りかかるのが一番むずかしい。こぎ始めの自転車と同じで、始めがいちばん重い。いったんこぎ出せばペダルは軽くなるのだが、こぎ始めはとにかく重い。重いから気が進まない。慣性の法則は、勉強にもそっくりそのまま当てはまる。静から動への変化を起こすには、「どっこいしょ」が要る。
Newton’s law of inertia:A body at rest tends to remain at rest and a body in motion tends to remain in motion. ― 静止している物体は静止を続け、運動している物体は運動を続ける。
したがって、嫌いな学科よりも、好きな学科の方から始めた方がいい。苦手な分野よりも、得意な分野の方が始めやすい。むずかしい本は、やっぱりむずかしい。やさしい本なら、読んでみようか、という気になる。
「毎日2時間は勉強しよう」は、たぶん続かない。「さあ、これから1時間は集中しよう」も、たぶん失敗する。それほど静から動への「慣性」の呪縛はすさまじい。まじめに取り組もうとすればするほど、その分だけ大きな壁となって立ちはだかる。
●18分だけやってみよう
勉強への取り組みは、軽く考えた方が上手くいく。『18分集中法』(菅野仁著・ちくま新書)からは多くのヒントを得た。
18分集中法とは、とりあえず18分だけ集中して作業に取り組もうという考え方。具体的で、実践的で、シンプルだから、だれにでも実行できる。
18分は、15分よりも3分長く、20分には2分足りない。18分という、中途半端な時間設定が、アクションを起こすエネルギーを生む。中途半端だからこそ行動を起こす引き金になる。
人間には空白を埋めたいという欲求がある。「1口かじったリンゴ」と「丸ごとのリンゴ」があれば、「1口かじったリンゴ」の方に注意は向く。人間には、足りないものや欠けているものに注意が向く傾向がある。「なぜかじったのだろう?」「誰がかじったのだろう?」「なぜ1口なのだろう?」
スーパーやコンビニで見かける198円という表示も、たんに200円を切っているというだけではなく、200円に2円足りないという「中途ハンパ感」が、買い物客の気を引く。
18分はまとまれば切りのいい時間になる。3セットで54分だから1時間弱。5セットならちょうど90分。
「18分くらい」なら、「18分だけ」なら、と軽い気持ちで始められる。18分は、ちょっとした工夫で生み出せるし、いたるところにころがっている。
18分は、さまざまなやっかいな作業を行う場面で利用できる。「苦手な科目に取り組むとき」「得意科目でも、やりたくないときはやりたくない」「面倒な雑用を片づけなければならないとき」「読みにくい本を読むとき」「いっこうにはかどらない文章を書くとき」「少しは部屋の掃除もしなくては」……。
●台所用品がハイテク・アイテムに
18分を計測するには、キッチン・タイマーが便利。家電量販店で数百円で買える。たった数百円の投資で、勉強や仕事をすすめるうえで、値段の何十倍もの利益が生まれる。台所用品を書斎に持ち込むだけで、オフィス革命が起こる。
タイマーを18分に設定し、スタート・ボタンを押すと、容赦なくカウント・ダウンが始まる。残り時間がデジタル表示され、いやでも集中力が高まる。タイマーが作動中に、電話がかかってきたり、家人に呼ばれたりしたときは、やむを得ず中断せざるを得ない。そんなときはタイマーを保留にしておく。たとえば、残り時間が4分32秒だったとする。
4分32秒は、中途半端で、ものすごく切りの悪い時間だから、残りを片づけたい気持ちがくすぶり続ける。早く決着をつけたくてたまらなくなる。とにかく火をつけないことには収まりがつかない。行動を再開したいというエネルギーが圧縮されているので、すぐに取りかかれる。ふいの中断でも不快にはならないし、中断がむしろ喜ばしいとさえ思えてくる。
設定した18分が経つと、ピッピッピッと終了音がせわしなく鳴る。ノリノリで作業をやっているときは、再度スタート・ボタンを押し、そのまま継続することもよくあるが、たいていは休息を入れる。
その休憩は、1分であったり、10分であったり、1時間のこともある。ときにはひと息の休憩のはずが、その日はもう何もしないこともある。要するに休憩時間の長さは自由ということ。「休む時間」まで「何分」という枠に入れてしまうと、そうとう窮屈に感じるから、あえてフレキシブルにしている。大切なのは、学習時間の長さではなく、「とにかく始める」ということだから、これでいい。
●「春になって桜の花が」の続きは書かない
文章を書いている途中で18分が終了することがある。たとえば、「春になって桜の花が」まで書いたところで終了音がなったとする。そのときはそこで止めるようにしている。「春になって桜の花が」のあとに「咲きました」と続けるのは簡単だが、あえて書かずに、文章を「宙ぶらりん」にしておく。
切りのいいところまで書いてから、「休み」を入れると、再び書こうとしたとき、次が書けなくなる。区切りのいいところまで書いてしまうと、その「休み」で、頭が完全にリセットされてしまう。そうならないために、「春になって桜の花が」で、あえて止め、意図的に「居心地の悪さ」を演出する。
「休み」のあとで、書きかけの文章にもどると、当然、「咲きました」は簡単に書ける。まるでタイムスリップしたかのように、中断していた思考の流れがよみがえってくる。
数学の問題でも、全部を解いてしまわないで、あるていど解法のメドが立ったところで、寝てしまった方が、翌朝の取りかかりはスムーズに行く。
●たった1行でも意味がある
本書に限らず、どんな本も、1ページ目から律儀に読み始めなくてもいい。カバー・トゥ・カバーで読もうとすると、気が重くなる。どこから読み始めてもかまわない。途中からだろうが、終わりからだろうが、かまわない。パラパラめくるだけの読書もある。本の読み方について、誰からもとやかく言われる筋合いはない。「こう読まねばならない」という、自分で作り上げた勝手な思い込みから解放されれば、本との関係は、もっと自由な関係になる。
私は、県立図書館から2週間ごとに10冊の本を借りている。もう何十年もそうしている。14日間で10冊に加え、自分でも購入する本が何冊もあるので、平均すれば1日1冊以上になる。それらの本を読破するかどうかは気にしていないし、気にもならない。読まねばという強迫観念はない。
たった1行のセンテンスに感動することもあれば、たった1つのフレーズが頭から離れないこともある。そんな1行や、ワン・フレーズに出会っただけでも、本を手にした意味がある。
『それでも人生にイエスと言う』(フランクル著・春秋社)で、フランクルはこう言う。
「コンサートホールにすわって、シンフォニーに耳を傾けている。いままさにこのシンフォニーの大好きな小節が耳に響きわたる。あなたは、背筋がぞくっとするほどの感動に包まれる。あなたが、この瞬間のためだけにこれまでの人生を生きてきたのだとしても、だれも反対はしない」
●楽しいからこそ続けられる
英語の学び方も、本の読み方と同じで、「こうでなければならない」はない。この呪縛から解放されると、もっと自由に楽しく学べるようになる。人それぞれ、これまでの学習過程も環境も異なる。好みも能力も違う。個性の数だけ学び方がある。
日本語の字幕なしで、洋画を楽しめたらとだれしも願う。英語版の“Shall We Dance?”を、字幕なしで10数回みたことがあるが、聞き取れない箇所はなんど聞いても聞き取れない。そんな経験から、洋画をみるときは、字幕も音声も、英語に設定して観ている。その方がストレスなく楽しめる。他人には奇妙に見えても、自分にとってはムリがない。テキスト付きのシャドーイングと同じで、目と耳の両方を使った方がよくわかり、楽しめる。
音読やシャドーイングもあまりムリをすると続かなくなる。途中で投げ出すのはもったいない。ちょっとムリかなと思えるぐらいの目標が達成できると、大きな満足感に包まれる。脳内にはドーパミンという幸せ物質が放出されるという。そんな達成感が、さらなる継続のエネルギーを生む。楽しいから続けられ、続けられるから達成できる。反復と継続こそが、語学習得の王道であり、楽しさがそれを下支えする。
本書を手にしたあなたの、これからの英語学習が、楽しくて実り多きものとなることを願ってやまない。
English is not only useful but it gives you a lot of satisfaction. Making progress feels great. You will enjoy learning English, if you remember that every hour you spend gets you closer to perfection.