たった1行でも意味がある
●あまりに平凡なことわざ ― ちりも積もれば山となる
「量質転化」の法則は、ヘーゲルの『小論理学』(岩波文庫・上巻p.325~327)や、『弁証法はどういう科学か』(三浦つとむ著・講談社現代新書・p.207~221)に詳しい。いちど目を通しておくと、ややもすると単調で無味乾燥になる反復くり返しを、モチベーションを下げずに、淡々と行うことができる。
「量質転化」というと、むずかしく聞こえるが、かけ算の九九を覚えたときのことを思い起こせば、「くり返せば覚える」は、だれしもが経験している。ただ、だれしもが経験し、わかっていながら、その実践はむずかしい。むずかしいからこそ、古人は、その知恵をことわざに落とし込んだに違いない。その知恵は、洋の東西を問わない。
・門前の小僧、習わぬ経を読む
・ちりも積もれば山となる
・急がば回れ
・Habit is a second nature. 習慣は第二の天性
・Haste makes waste. 急がば回れ
・He who shoots often, hits at last. 何度も射れば、最後には当たる
・Practice makes perfect. 習うより慣れろ
・Rome was not built in a day. ローマは一日にしてならず
・Slow and steady wins the race. ゆっくり着実にやれば必ず勝つ
・The last drop makes the cup run over. 最後の一滴がコップをあふれさせる
・The last straw breaks the camel’s back. 最後の一本のワラがラクダの背中を折る
「ことわざというものは、それが真理であることを親しく体験しない限りは、つねに平凡なものである」(『英文標準問題精講』練習問題【99】)
Proverbs are always commonplaces until you have personally experienced the truth of them.(ALDOUS HUXLEY, “Jesting Pirate”)
●かんたんなことから、すぐにできることから手をつけよう
勉強は、やらなくてはと思いながら、だれしもなかなか取りかかれない。アランは、『幸福論』
(岩波文庫)のなかでこう言っている。
よい仕事だと思いながら、していない仕事がわれわれの前にはたくさんある。刺繍もはじめは楽しくない。しかし、縫い進むにつれて、その楽しみは加速度的に倍加する。何ひとつ期待することなく始めなければならない。期待がやってくるのは、仕事がはかどってからである。ミケランジェロは頭の中であのような形象をすべて考えた後、描いたとは、ぼくには思えない。ただ彼は描きはじめた。すると、諸人物があらわれてきた。描くというのはそういうことだ。― (同書、始めている仕事、より)
ヒルティの『幸福論』(岩波文庫)では、こうある。
何よりも肝心なのは、思い切ってやり始めることである。机にすわって、心を仕事に向けるという決心が、結局いちばんむずかしい。ある人は、始めるのに、ただ準備ばかりしていて、なかなか取りかからない。またある人は、興味がわくのを待つが、興味は仕事に伴ってわくものなのだ。大切なのは、事をのばさないこと、気の向かないことを口実にせず、毎日、一定の時間を仕事にささげることである。― (同書、仕事の上手な仕方、より)
賢人が言うように、勉強は、取りかかるのが一番むずかしい。こぎ始めの自転車と同じで、始めがいちばん重い。いったんこぎ出せばペダルは軽くなるのだが、こぎ始めはとにかく重い。重いから気が進まない。慣性の法則は、勉強にもそっくりそのまま当てはまる。静から動への変化を起こすには、「どっこいしょ」が要る。
Newton’s law of inertia:A body at rest tends to remain at rest and a body in motion tends to remain in motion. ― 静止している物体は静止を続け、運動している物体は運動を続ける。
したがって、嫌いな学科よりも、好きな学科の方から始めた方がいい。苦手な分野よりも、得意な分野の方が始めやすい。むずかしい本は、やっぱりむずかしい。やさしい本なら、読んでみようか、という気になる。
「毎日2時間は勉強しよう」は、たぶん続かない。「さあ、これから1時間は集中しよう」も、たぶん失敗する。それほど静から動への「慣性」の呪縛はすさまじい。まじめに取り組もうとすればするほど、その分だけ大きな壁となって立ちはだかる。
●18分だけやってみよう
勉強への取り組みは、軽く考えた方が上手くいく。『18分集中法』(菅野仁著・ちくま新書)からは多くのヒントを得た。
18分集中法とは、とりあえず18分だけ集中して作業に取り組もうという考え方。具体的で、実践的で、シンプルだから、だれにでも実行できる。
18分は、15分よりも3分長く、20分には2分足りない。18分という、中途半端な時間設定が、アクションを起こすエネルギーを生む。中途半端だからこそ行動を起こす引き金になる。
人間には空白を埋めたいという欲求がある。「1口かじったリンゴ」と「丸ごとのリンゴ」があれば、「1口かじったリンゴ」の方に注意は向く。人間には、足りないものや欠けているものに注意が向く傾向がある。「なぜかじったのだろう?」「誰がかじったのだろう?」「なぜ1口なのだろう?」
スーパーやコンビニで見かける198円という表示も、たんに200円を切っているというだけではなく、200円に2円足りないという「中途ハンパ感」が、買い物客の気を引く。
18分はまとまれば切りのいい時間になる。3セットで54分だから1時間弱。5セットならちょうど90分。
「18分くらい」なら、「18分だけ」なら、と軽い気持ちで始められる。18分は、ちょっとした工夫で生み出せるし、いたるところにころがっている。
18分は、さまざまなやっかいな作業を行う場面で利用できる。「苦手な科目に取り組むとき」「得意科目でも、やりたくないときはやりたくない」「面倒な雑用を片づけなければならないとき」「読みにくい本を読むとき」「いっこうにはかどらない文章を書くとき」「少しは部屋の掃除もしなくては」……。
●台所用品がハイテク・アイテムに
18分を計測するには、キッチン・タイマーが便利。家電量販店で数百円で買える。たった数百円の投資で、勉強や仕事をすすめるうえで、値段の何十倍もの利益が生まれる。台所用品を書斎に持ち込むだけで、オフィス革命が起こる。
タイマーを18分に設定し、スタート・ボタンを押すと、容赦なくカウント・ダウンが始まる。残り時間がデジタル表示され、いやでも集中力が高まる。タイマーが作動中に、電話がかかってきたり、家人に呼ばれたりしたときは、やむを得ず中断せざるを得ない。そんなときはタイマーを保留にしておく。たとえば、残り時間が4分32秒だったとする。
4分32秒は、中途半端で、ものすごく切りの悪い時間だから、残りを片づけたい気持ちがくすぶり続ける。早く決着をつけたくてたまらなくなる。とにかく火をつけないことには収まりがつかない。行動を再開したいというエネルギーが圧縮されているので、すぐに取りかかれる。ふいの中断でも不快にはならないし、中断がむしろ喜ばしいとさえ思えてくる。
設定した18分が経つと、ピッピッピッと終了音がせわしなく鳴る。ノリノリで作業をやっているときは、再度スタート・ボタンを押し、そのまま継続することもよくあるが、たいていは休息を入れる。
その休憩は、1分であったり、10分であったり、1時間のこともある。ときにはひと息の休憩のはずが、その日はもう何もしないこともある。要するに休憩時間の長さは自由ということ。「休む時間」まで「何分」という枠に入れてしまうと、そうとう窮屈に感じるから、あえてフレキシブルにしている。大切なのは、学習時間の長さではなく、「とにかく始める」ということだから、これでいい。
●「春になって桜の花が」の続きは書かない
文章を書いている途中で18分が終了することがある。たとえば、「春になって桜の花が」まで書いたところで終了音がなったとする。そのときはそこで止めるようにしている。「春になって桜の花が」のあとに「咲きました」と続けるのは簡単だが、あえて書かずに、文章を「宙ぶらりん」にしておく。
切りのいいところまで書いてから、「休み」を入れると、再び書こうとしたとき、次が書けなくなる。区切りのいいところまで書いてしまうと、その「休み」で、頭が完全にリセットされてしまう。そうならないために、「春になって桜の花が」で、あえて止め、意図的に「居心地の悪さ」を演出する。
「休み」のあとで、書きかけの文章にもどると、当然、「咲きました」は簡単に書ける。まるでタイムスリップしたかのように、中断していた思考の流れがよみがえってくる。
数学の問題でも、全部を解いてしまわないで、あるていど解法のメドが立ったところで、寝てしまった方が、翌朝の取りかかりはスムーズに行く。
●たった1行でも意味がある
本書に限らず、どんな本も、1ページ目から律儀に読み始めなくてもいい。カバー・トゥ・カバーで読もうとすると、気が重くなる。どこから読み始めてもかまわない。途中からだろうが、終わりからだろうが、かまわない。パラパラめくるだけの読書もある。本の読み方について、誰からもとやかく言われる筋合いはない。「こう読まねばならない」という、自分で作り上げた勝手な思い込みから解放されれば、本との関係は、もっと自由な関係になる。
私は、県立図書館から2週間ごとに10冊の本を借りている。もう何十年もそうしている。14日間で10冊に加え、自分でも購入する本が何冊もあるので、平均すれば1日1冊以上になる。それらの本を読破するかどうかは気にしていないし、気にもならない。読まねばという強迫観念はない。
たった1行のセンテンスに感動することもあれば、たった1つのフレーズが頭から離れないこともある。そんな1行や、ワン・フレーズに出会っただけでも、本を手にした意味がある。
『それでも人生にイエスと言う』(フランクル著・春秋社)で、フランクルはこう言う。
「コンサートホールにすわって、シンフォニーに耳を傾けている。いままさにこのシンフォニーの大好きな小節が耳に響きわたる。あなたは、背筋がぞくっとするほどの感動に包まれる。あなたが、この瞬間のためだけにこれまでの人生を生きてきたのだとしても、だれも反対はしない」
●楽しいからこそ続けられる
英語の学び方も、本の読み方と同じで、「こうでなければならない」はない。この呪縛から解放されると、もっと自由に楽しく学べるようになる。人それぞれ、これまでの学習過程も環境も異なる。好みも能力も違う。個性の数だけ学び方がある。
日本語の字幕なしで、洋画を楽しめたらとだれしも願う。英語版の“Shall We Dance?”を、字幕なしで10数回みたことがあるが、聞き取れない箇所はなんど聞いても聞き取れない。そんな経験から、洋画をみるときは、字幕も音声も、英語に設定して観ている。その方がストレスなく楽しめる。他人には奇妙に見えても、自分にとってはムリがない。テキスト付きのシャドーイングと同じで、目と耳の両方を使った方がよくわかり、楽しめる。
音読やシャドーイングもあまりムリをすると続かなくなる。途中で投げ出すのはもったいない。ちょっとムリかなと思えるぐらいの目標が達成できると、大きな満足感に包まれる。脳内にはドーパミンという幸せ物質が放出されるという。そんな達成感が、さらなる継続のエネルギーを生む。楽しいから続けられ、続けられるから達成できる。反復と継続こそが、語学習得の王道であり、楽しさがそれを下支えする。
本書を手にしたあなたの、これからの英語学習が、楽しくて実り多きものとなることを願ってやまない。
English is not only useful but it gives you a lot of satisfaction. Making progress feels great. You will enjoy learning English, if you remember that every hour you spend gets you closer to perfection.
2018年2月3日