チュンプルズを覚えるために
以下は、チュンプルズを覚えやすくするために作成したアウトプット集の「まえがき」である。
●Over and over again
単語や熟語、あるいは基本構文が覚えられないというグチをよく耳にする。なん度やってもすぐに忘れるという。「なん度やっても」というので、いったい何回くり返しているのか聞いてみると、4、5回だったり10数回だったりする。こんな回数で覚えられると考える方がおかしい。数回くり返しただけで、英文が暗記でき、口からすらすら出てくることなどありえない話だ。
暗記は反復・くり返しが基本だが、こんな回数ではあまりにも少なすぎる。くり返しのケタ数が1ケタか2ケタ違うのである。私は、英標の音読を1995年ごろから始めて10数年続けているが、その回数は、現在、220回になる。ときどき英標の文章があたまの中をひとりでに流れることはあるが、いまだに暗記はしていない。
チュンプルズに載せた「ういろう売りの台詞」を、5、6年かけて、3,000回読んだことがある。正確に言えば、読んだのは700回までで、それ以後は原稿を見ないで唱えていた。覚えようと思って読んでいたのではないが、気がつくと原稿がいらなくなっていた。そのときの回数は700回ぐらいだった。
●Slow and steady wins the race.
これを英標の音読回数に当てはめると、英標の暗記には4、50年かかることになる。そう考えると気が遠くなるが、暗記するために読んでいるのではないので、何のストレスも感じない。覚えられないからといって、自分の記憶力の悪さや能力のなさをなげくこともない。いつまでにという期限もないし、こうしたいという目標もないから、気楽なものだ。ただ、声に出して読むということ自体を楽しんでやっている。毎日決まった時間に15分から20分音読することが日課になっている。たまに、おっくうになることはあるが、起きたら顔を洗うのと同じで、習慣になっているから続いている。
このアウトプット集を覚えるときも、いつまでに覚えようとか、完璧に覚えようとか、むきにならない方がいい。わずか数十ページの分量だが、チュンプルズを濃縮したものだから、内容は濃い。はやく覚えようと力んで取りかかると続かなくなり、挫折するのも早いだろう。
自転車も、こぎ始めには大きなエネルギーがいる。静止している自転車を動かすわけだから、最初のペダルはとても重く感じられる。速く走ろうと立ちこぎしても、いきなりスピードは出ない。
Sir Isaac Newton says, ” A body at rest tends to remain at rest and a body in motion tends to remain in motion.”
これは慣性の法則(law of inertia)である。「静止している物体はいつまでも静止していようとするし、動いている物体はその動きをそのまま続けようとする」。それまでやっていなかったことを新たにやり始めるわけだから、やり始めは何でも重い。アウトプット集も同じで、気合いや意気込みだけでは続かない。
長く続けるコツは、小さい単位に分けて、ゆっくりやることだ。1ページ目から最終ページまでを一気にやるには量が多すぎる。あせらず1ページずつ小分けにして進めたらいい。
●Visualization
アウトプット集の右ページの下段に、点線で描いた正の字が24個ならんでいる。これは、そのページを1回終えるごとに、1画ずつなぞるためのものだ。5回で正の字が完成するから、5×24で、120回分記入できるようになっている。
24個の正の字はサンプルで載せただけで、120回で終了という意味ではない。自信がつくまで、500回でも1,000回でもくり返せばいい。くり返す回数に比例して、左ページの設問にスラスラ答えられるようになっていくだろう。
正の字を記入していくことで達成感が味わえ、続けやすくなる。くり返した回数を視覚化すると、なんとなくやっているのとは違って、くり返した回数が一目瞭然になるので、やる気につながる。正の字がどんどん並んでいくと、やり遂げてきた量に誇りが持て、挫折しなかった自分への自尊心も高まる。
このような「見える化」は、企業の生産現場などでも用いられている。製造過程のあいまいな行動を、数値を使って「可視化」することで、生産の効率化を図ることができるからだ。
●Reading aloud
江戸時代の寺子屋の数は、全国で1万5000とも2万ともいわれて、そこでは素読(そどく)が行われていた。意味はわからなくても論語や漢詩の音読がひたすらくり返されていた。その結果、江戸時代の識字率は世界最高水準だったといわれている。安藤広重の「東海道五十三次」の浮世絵では、日本橋のたもとで立て札を眺めている馬子や魚屋や丁稚などの姿が描かれている。素読をベースにした、江戸時代の庶民の読み書き能力の高さがうかがえる。
英語ができない人に共通しているのは、「音」を無視している点である。ダンガラス(dangerous)や、スシエンス(science)や、アイヤー(air)などの発音には耳を疑う。アクセントの位置にも無頓着だ。 デザート(desert砂漠)と、デザート(desert見捨てる)では、意味はまったく異なる。
黙読では、目で見た情報が脳に届き、そこで終わるが、音読では、目で見た文字情報が脳に届き、そこから運動神経に伝わり、発話器官はそれを音として出力する。さらに口から出力された音は、耳から音韻情報として再入力される。黙読が一方向の入力なのに対して、音読は、入力、出力、再入力の三方向の運動だと考えられる。いわば、音読は脳の全身運動であり、声に出すか出さないかでは大違いである。
脳科学の本でも、音読は、「読む」「話す」「聞く」の三つの行為から成り立っているといわれている。まず文章を目で追うことで後頭葉が働き、つぎに文章を言葉として出力することで前頭葉が働く。さらにフィードバックがあって自分の声を聞くから側頭葉が働く。さらにその他にも、右脳の前頭前野が顕著に活発化するといわれている。
このアウトプット集を使うときには、声に出そう。声に出すとその効果は何倍にも高まる。
●Don’t ask why but ask how.
最後に、覚えられないからといって、「なんで覚えられないんだろう?」と、自問してはいけない。できない理由を探せば、その理由は必ず見つかるだろう。「暗記は苦手だから」「記憶力が悪いから」「面白くないから」「面倒だから」「三日坊主だから」……。
しかし、できない理由がわかったところで、できるようになるわけではない。むしろ、できない理由が見つかるわけだから、できないことが正当化される。したがって、「なんで覚えられないんだろう?」は、「やっぱり覚えられない」という結論になる。「なんで覚えられないんだろう?」は、自分を不幸にするセルフ・トークなのである。
覚えられないときに問うべきは、「どうやったら覚えられるか?」であって、「なんで覚えられないのか?」ではない。Why I can’t ではなくHow I canなのである。行き詰まったら、こんな自問をしてみてはどうだろう。
・自分の能力をフルに発揮するにはどんなやり方があるだろうか?
・どんな覚え方なら覚えられるだろうか?
・これが覚えられたら、自分の英語力はどれぐらい伸びるだろうか?
・自分は今、なぜこれを覚えようとしてるのだろうか?
・1日のうちで、いちばん覚えやすい時間帯はいつだろうか?
・もっと効率よく覚えるには、どんな場所がいいだろうか?
・すらすら言えるようになったらどんな気分だろうか?
・いままで覚えてきて、どんな気づきや発見があっただろうか?
・覚える前と、完全に覚えた後とでは、自分はどのように変化しているだろうか?
・覚えるうえで、いちばん大事にしておかなければならないことは何だろうか?
・このアウトプット集は、どんないきさつでできたのだろうか?
これらは、何の変哲もない問いだが、大きな成果を生むパワーがある。すぐには答えが見つからなくても気にすることはない。なぜなら、あたまの中では、答えを探そうと、サーチ・エンジンのスイッチがすでにオンになっているからだ。質問することで、思考が始まり、思考は行動を生む。Great results begin with great questions.
What are the greatest possibilities you can imagine in memorizing this small OUTPUT book?
2012年2月7日