私と英標
手元にボロボロになった「英標」がある。英文標準問題精講、通称「英標」と呼ばれている大学受験のための参考書だ。
1993年に旺文社から出版され、以来今日まで、半世紀以上にわたって売れ続けてきた。いわば受験界の古典だ。どんな書店でも、受験参考書のコーナーには必ず置いてある。英米文学の著名な作家の代表作が、百語から二百語の抜粋で、二百二十編収められている。英文解釈の究極の書として、先輩から後輩に、教師から生徒に、親から子へと薦められてきた本である。
だからといって、必ずしも読者に愛され親しまれてきた本ではない。受験生は、むしろ、巨大な岩山に行く手を阻まれたような挫折感と絶望感を味わってきたに違いない。とにかく難解な本だ。
英文自体も難解だが、訳文の方も難しい。「外国文学の園を逍遙することは……」「摩擦が普遍的に存在している状態こそが平和の……」「想像の灯火を意のままに点滅させ……」といった翻訳調の表現が並ぶ。さらにやっかいなのは解説の箇所だ。複雑な構造を持つ英文については、系統樹のようなツリー状の英文の解剖図が示されているが、数式を見ているようでよけいに分かりづらい。
こんな「英標」との付き合いは、受験生に英語を教えはじめて以来、二十年近くになる。教えるという立場上、微に入り細をうがって何度も精読を重ねてきた。
赤や青のボールペンや、オレンジ色や黄色のマーカーでいたるところに矢印や下線が引いてある。ページの余白には、鉛筆書きの細かい文字で英文や和文が、ところ狭しとびっしりと書き込んである。無味乾燥な活字の羅列にしか見えなかった本に、丹念に精気を吹き込んできた痕跡である。「英標」との知的格闘の証でもある。
気になったページには付箋紙が貼ってある。また、いちいちページをめくるのに不便だったので、自家製のしおりも作った。長さ十数センチのタコ糸の一端を接着剤で背表紙に貼り付けて、ページの間に挟んである。破れてちぎれそうになったオモテ表紙とウラ表紙は、接着剤で塗り固めさらに粘着テープで裏打ちして、本は、なんとか分解を免れている。
二、三年前から、「英標」の音読を始めた。ただひたすら声に出して読むことを繰り返している。英文が理解できるようになろうとか、英語がうまくなろうという気持ちから始めたのではない。それよりも、精読をとおして隅から隅まで熟知した英文を、声に出して一気に読み飛ばしてみたらどんな感じだろうかという好奇心からだ。
爽快である。歳月をかけて行きつ戻りつ読んできた英文が、秒単位で一直線に進んでいく。読経のように淡々と自分の口から流れ出る英文に、ボーっと酔いしれることもある。現在、「正」という字が六個並んでいる。三十一回目の音読にさしかかっているところだ。
1999年11月・四国新聞随筆欄投稿