小学校英語は必ず破綻する
2020年4月から、小学校5・6年で週2時間、教科としての英語が始まった。
●とんでもない質問が飛んでくる
初心者は思いも寄らない質問をしてくる。そしてとんでもない間違いを犯す。
・英文でbeが出てくるとドキッとするんです。beって何ですか?
・I talked to him.で、toは「~へ」、himは「彼に」、だから、「私は彼にへ話しかけた」、となぜならないんですか?
・今、アイヤーと発音したけど、それはairのこと?
・「鳥が鳴いている」はBirds are crying.ではなく、Birds are singing.
・「彼女は顔が広い」はHer face is wide.ではなく、She has many friends.
・「地球はどんどん小さくなっている」は、The earth is getting smaller.ではない。物理的な地球は縮んだりはしない。The world is getting smaller.
・A fat is swimming in the soup.は「太った人がスープの中を泳いでいる」ではなく、「油がスープに浮いている」
・There were no seats in the car. So I kept standing.「クルマには座席がなかったので立っていた」は間違い。座席のないクルマなど存在しない。carはクルマではなく列車の車両のこと。
・a surprising boyは「驚いている少年」ではなく「驚くべき少年」。これを教えるには一苦労する。スッキリ分からせるにはかなりの力量がいる。小学生に分からせることは不可能。
・果物のカードをめくって、「アイ・アム・バナナ」「ユー・ア-・ピーチ」のような練習をしていると、マクドナルドで、「アイ・アム・ダブルバーガー」と注文するようになる。
●小学生には災難
できる生徒とできない生徒では、できない生徒を教える方が圧倒的にむずかしい。高3生よりも高1生を教える方が何倍も労力がいる。高1の4月の最初の授業では、とりわけ気を使う。初心者を教えるには長年の経験がものをいう。
政府は、小学生に教えるのだから、専門家でなくていいだろうと考えている節がある。初心者に専門用語を使わずに教えるには、逆に、高度な知識、技能、経験が問われる。研修を受けたからといって、だれでも教えられるわけではない。
小学校の教員で英語指導の研修を受けるのは、各都道府県から選ばれた数百人のみ。残りの教員はそれを共有するだけだという。香川県だけでも2千数百人の小学校教員がいる。そのなかで研修を受けるのはほんの数十人。大部分は直接的な研修を受けないまま指導にあたることになる。
自動車教習所で、ハンドルを握ったことのない教官からクルマの運転を習おうとは誰も思わない。こんなおざなりな研修で専門家でもない教員から、初めて英語を習う小学生は災難だろう。
以下の記事は、英語教育に携わる者には示唆に富んだ内容。本文は8,000字を超える長文だが、1/3に縮めて紹介しておこう。小学校英語が、遅かれ早かれ行き詰まることに納得がいくだろう。
『英語の教科化という迷走』(「世界」2019年11月号)
(寺沢拓尊 てらさわ・たくのり 関西学院大准教授)
●効果はあるのか
文科省の文書には、「小学校への英語の導入でこれだけ英語力が向上する」というアピールがない。研究者ですら、「効能」を訴える者はいない。なぜ文科省は効果を訴えないのか。
第1に、小学校の時間割は過密スケジュールであり、ここから英語の時間を捻出するのは並大抵のことではない。
第2に、国内外の実証研究でも劇的な効果がないことがわかっている。
「小学校から英語を習わせたらペラペラになった」という逸話は、過大評価に過ぎない。
●グローバル化への対応?
効果がないのに、なぜ教科化は進められたのか。一言でいうとグローバル化への対応である。
一見もっともらしい根拠だが、大きな問題をはらんでいる。ひとつが、この主張は事実と異なる点、もうひとつが、グローバル化への対応という目的は教科化という手段とミスマッチである点。
●2000年代後半、英語使用は減った
グローバル化で英語使用が上昇しているというのは事実と異なる。
2008年以降の金融危機(リーマンショック)で、日本経済は大きく後退し、国際的な取引を冷え込ませ、訪日外国人は激減した。
英語使用はグローバル化に敏感に反応する。金融危機のようなグローバルな変化に影響され、英語使用の減少を引き起こす。
●今後の見通し
第1に、貿易はリーマンショック以前の水準に回復したが、大幅な拡大を見せてはいない。
第2に、訪日外国人は過去10年で4倍に増えたが、英語の二-ズも4倍になるわけではない。なぜなら訪日外国人の9割が非英語圏の出身者であり、英語に堪能なわけではない。
第3に、日本は巨大な内需を持つ。その取引はほとんどが日本語で行われる。
●目的と手段のミスマッチ
グローバル化が今後どれだけ拡大していくかはわからない。2008年のリーマンショック、2016年のトランプ大統領誕生や、Brexitなど、反グローバル化の事例は多い。グローバル化の予測は占いに近い。
「英語がヘタでは取り残される」「グローバル化で生き残れない」「グローバル人材の育成を」といった主張は、短期的である。
小学校への英語教育の導入は、中長期的な対応策である。小学校で英語教育が始まっても、児童たちがグローバル人材として世界に出ていくのは十数年先である。
グローバル化への対応という短期目的と小学校英語の導入は完全にちぐはぐである。
●政策過程の問題
小学校英語の効能も不明瞭で、なぜ教科化が推進されたのか。
文科省は教科化に対しては後ろ向きだったが、安倍政権において、教科化案がトップダウンで決定されたため、具体化を余儀なくされた。文科省の説明が要領を得ないのも、最初に教科化という枠をはめられてしまったからである。
●教科化決定に至る経緯
教科化プランがどこから来たのか。それは、2013年に官邸に設置された教育再生実行会議および産業競争力会議である。審議事項は多岐にわたり、小学校英語に割かれた時間は圧倒的に短かった。熟議とは呼べない形で教科化案がまとめられた。報告書には、どういう根拠で教科化が提案されたか明文化されていない。
拙速な決定だが、文科省は、閣議決定の重みゆえ、教科化プランをそのまま具体化せざるを得なかった。
以上の事情から、文科省の教科化案には、「結論先行・根拠は後付け」という論理が散見される。
●文科省vs.官邸
文科省は常に教科化に慎重な立場をとり、改革の条件がそろっていないという現状認識を持っていた。財界や政治家などから英語教育の早期化を要求されつつも、小学校英語政策は、文科省のコントロールがよく効いていた。
一方で、2010年代の教科化は、そうした総合調整をスキップし実現した。
官邸付きの教育再生実行会議に、調整機能が備わっていれば問題はないのだが、委員の顔ぶれを見ても、教育現場の知見や情報をすくいあげるチャンネルを欠いていた。
結局、非専門家による印象論が横行し、短時間の審議で、重大な改革案が具体化されたのである。
●現場へのしわ寄せ
教科化は小学校現場に大きな負担を強いる。
その典型が指導者である。財政難もあり、英語の専科教員を採用するのではなく、学級担任に英語指導を新たに担当させることになっている。
小学校教員に任せる以上、研修は不可欠である。しかし、財政的制約により、実効性が疑われるような奇妙な研修が導入され、教員に過剰な負担が求められている。
第1に、英語指導に関して、まるで「伝言ゲーム」のような奇妙な研修が行われている。
まず各都道府県が推薦した数百人程度のリーダー教員を中央に集めて指導する。次に、リーダー教員は地域に戻り、各小学校の中核教員に研修を施す。さらに、中核教員は小学校に戻り、同僚教員に校内研修を行う。
第2に、新しい教育内容の研修も準備も、既存の業務に上乗せである。業務が増える分、増員して一人あたりの業務時間を減らすという発想はない。
そもそも、小学校教員の多忙化は、授業数の増加にある。新たに英語指導への対応を迫られ、多忙化にいっそう拍車がかかる。
●必要な改革のために
現状を見るに、小学校英語が他よりも優先されるべきことを示すデータは何もない。教科化は、効能が不明であるばかりか、グローバル化への対応としては即効性が低く、教育現場に無用な負荷を強いる。
中学・高校・大学の英語教育には長年にわたる蓄積がある。既存の制度的・人的・知識的リソースを利用することで、教育現場に負荷をかけずに改革が実行できる。
反対に、ゼロの蓄積から新たなインフラを作っていくのが、小学校英語である。
こうした最も悪手の選択肢が選び取られてしまった原因は、官邸主導の政策過程にある。
言語理論や教育現場、教育行政などに通じた人材を集め、時間をかけて議論しない限り、このような悪手が繰り返される。
小学校英語改革は、教育政策過程全般に重大な瑕疵(かし)があることを暗示する。
2020年8月21日