大学に受かるのは「いつ」か
●自然界に境界線はない
夜はいつのまにか明けて朝になる。ここまでが夜で、ここからが朝だとはいえない。「夜」や「朝」という言葉だけを聞いていると、夜と朝のあいだに明確な切れ目があるように感じる。しかし、実際には切れ目はない。
鼻や口やほほの境目もはっきりしない。どこまでが頭で、どこからが肩かもはっきりしない。
医師に死亡宣告されても爪や髪は伸び続けるというから、生と死の境界線も曖昧である。
●イベントにも境界線はない
3泊4日で北海道に修学旅行に行くとする。札幌空港に到着した時点から、修学旅行が始まるわけではない。地元の空港から飛び立つ瞬間でもない。自宅を出発する時点でもない。
修学旅行の前の晩は、札幌や小樽の町を思い描いて興奮しているかもしれない。出発前であっても、自宅にいながら旅行の思いにふけっている時点で、修学旅行はすでに始まっている。
修学旅行の1週間前に、旅行カバンを買ったり、旅行グッズをそろえる。あれこれとわずらわしい準備や作業であっても、これも修学旅行の一環である。
●さまざまな合格
大学入試の合格についても同じことがいえる。いつの時点をもって合格と考えるかはさまざまである。
1.多くの大学はウェブサイト上で合格者の受験番号を発表する。受験生は自分の受験番号を見つけて、合格したことを知る。受験生はたいていこの瞬間に喜びの絶頂を経験する。
2.しかし、この時点で、正式に合格が決まったわけではない。合格者には大学から「合格証書」と「入学手続要項」が送られてくる。期日までに入学手続きを行わないと合格とはならない。したがって、手続きが完了してはじめて合格ともいえる。
3.合否のもとになる採点の場面を想像してみる。300点が合否のラインだとすれば、299点は不合格。記述問題であれば、採点者の気分次第で1点差など容易にひっくり返る。しかし、合理性があろうがなかろうが、この採点が事実上の合否が決まる瞬間でもある。
4.受験生なら誰しも経験するだろう。試験を終え、どこからともなく喜びがこみ上げてくる。確かな手応えを感じ、自分なりに合格を確信する。この確信も、合格の瞬間に匹敵する喜びである。
5.二十数年前のことである。3月末日、浪人を覚悟していた塾生から電話がかかってきた。「東北大学に補欠合格しました」。旧帝大の合格者に欠員がでるとは、どういう事情かは分からないが、合格は合格である。当人にとっては、大学からの突然の一報が合格の瞬間だった。
6.昔、『700選』(駿台文庫)をマル暗記した塾生がいた。『700選』が暗記できれば、全国模試で1位になるという都市伝説がある。裏を返せば、『700選』の攻略はそれほど難しい。彼は、伝説ではなく文字通り全国1位になった。そのときの彼の偏差値は100を超えていた。
100を超える偏差値とはどういうものか。世界記録保持者のウサイン・ボルトが高校総体に出たとする。そのタイムを偏差値で表せば100を超えるのは容易に想像できる。
彼は第一志望の中央大学の法学部に進学した。彼が受験を待たずして、半年先の春の合格を100%の確信を持って思い描いていたことは想像に難くない。
7.AIの専門家・新井紀子教授は、著書の『AIに負けない子どもを育てる』の中で、こう指摘する。「読解力と進学する高校、大学の偏差値は相関している。中1の読解力から、3年後に受かる高校が予知できる。大学についても同じ」。中1の時点での読解力から、将来どのレベルの大学に受かるかは、予知できるというのである。
●受かると思い込むだけでワクワクする
人はまだ手にしてなくても、手に入ると想像しただけで楽しくなる。
Amazon primeやNetflixが主流になってレンタルビデオはすっかり影をひそめたが、レンタルビデオは、レンタル店で選んでいるときからワクワクする。初デートなら数日前からソワソワする。どこで待ち合わすか、どこへ行って何を食べるか、頭の中でデートはすでに進行している。
大学入試も、合格を手にした瞬間だけがゴールで喜びではない。合格に向かっているプロセスも楽しいはずである。もし楽しくないとすれば、ゴール設定がどこか間違っているのだろう。
大学合格というゴールはピンポイントの一点ではない。さまざまな局面を含む面である。台風はその目だけをいうのではない。暴風域、強風域も含めて台風と呼ぶ。
受験勉強では、間違えたり、つまずいたりと、思うように進まないことの方が多い。それでも前に進んでいる。うまくいくこと、サクサク進むことだけがゴールへの道ではない。
不安のなかで勉強するのと、自信をもって勉強するのとでは、パフォーマンスがぜんぜん違う。不安も自信も、不確かな未来の話であって、どちらも根拠のない思い込みである。
どうせ思い込むのであれば、自分は合格という領域にすでに突入していると思い込んだ方がいい。合格を思い込むことは、合格しているのと同じ結果と喜びを生む。そして、その喜びは、困難や障害を乗り越えていくパワーになる。
私も、そういう思い込みの中で今も英語を学び続けている。
2022年10月15日