T・N 東京外国語大学・チェコ語(2019年・高松一高卒)
かつうらを卒業して約1年になる。かつうらの英文解釈のアプローチは、新鮮で他の追随を許さない絶対の英文読解法だと確信している。高3生になってから始まった英作文では、日本語と英語の間を行き来する、あの知的興奮がたまらなかった。
けれども、かつうらの3年間で最も強烈に印象に残っているのは「継続」の力である。
先生の「継続」の遍歴は『チュンプルズ』の最終ページに掲載されている。その中で一段と目を惹くのは、『英文標準問題精講』の音読320回である。私もいま『英標』の精読と音読に取り組んでいるが、あのように難解な文章を、先生が320回も読んだという事実が信じられない。しかし、先生の決して妥協しない英文解釈の質を鑑みれば、320回も音読したというのは伊達ではないことがうなずける。
さらに先生は、『レアジョブ英会話』を始められ、生徒の私が言うのは僭越だが、先生の英会話能力は明らかに向上していった。
「継続」について、スペインの哲学者オルテガは『大衆の反逆』で「貴族」を指してこう述べている。
「貴族とは、つねに自己を超克し、おのれの義務とし、おのれに対する要求として強く自覚しているものに向かって、既成の自己を超えてゆく態度を持っている勇敢な生の同義語である。(中略)彼らにとって生きるとは、不断の緊張であり、絶え間ない習練なのである。習練=áskesis。つまり、彼らは苦行者(asceta)なのである」
すなわち、オルテガは、「絶え間ない習練を積むことを己の義務として、自己を超克する人間が貴族である」と言っている。
かつうら塾では、かつうら先生がその「貴族」としての模範を『英標』の音読や『レアジョブ』の継続を通して、真にわれわれ生徒に問うているのではないだろうか。
果たして、私は「貴族」になれたであろうか。『英標』を精読をし、復習もしていたが、それを何度も繰り返したわけではない。『レアジョブ』にしても、たまに休むこともあり、「継続」しているといえない。
私はチェコ語を専攻している。このコロナ禍の最中で大学はオンライン授業。チェコ語の教科書を必ず読むことにしているが、毎日は続かない。先生の音読回数を超えようと『英標』の音読にも挑戦しているが、毎日は続かない。
「継続」の力は、身をもってわかっている。『英標』の精読を3年間続け、外国語を学ぶには日本でトップクラスの大学に合格できたのも、「継続」のおかげである。
中国語を専攻している友人がいる。1年の時から中国人と毎日会話し、教科書を何周もしている。彼の中国語は、中国語科の人たちのなかで群を抜いている。
書店で1か月で英語ができるようになるとか、TOEIC、IELTS、TOEFLは1ヶ月で突破できるとかいう本をよく見かける。だが、断じてそんなことはない。「継続」なくして言語は習得できない。淡々と一歩ずつ続けることこそ、目標達成への近道なのである。
かつうら塾は確かに英語塾である。しかし、そこは先生との生の交流を通じ、「継続」の力を体感し、授業を通して「継続」を学んでいくところである。
私は、「継続」の「貴族」ではない。今もかつうらから学ぶことは多い。かつうらで学んだことをまだ消化し切れていない。その意味で私はかつうらをまだ卒業していない。
2020年6月18日