「ちゃんとやれば……」の愚―その2
●わかっていないことがわかっていない
Science, in so far as it consists of knowledge, must be regarded as having value, but in so far as it consists of technique the question whether it is to be praised or blamed depends upon the use that is made of the technique.
(科学は知識で成り立っている限り、価値があるとみなされなければならないが、技術で成り立っている限り、賞賛されるべきか非難されるべきかは、その技術の使い方次第である)
「講評」は次のように解説する。the questionとwhether節の関係を、「whether節内が完全な文=同格表現と気づいただろうか」とある。
whether節内が完全な文かどうかは、「同格that」と「関係詞that」の判別に用いる手法であって、ここでは当てはまらない。さらに、名詞節であれ副詞節であれ、whether節内は常に完全な文である。the questionとwhether節が同格とする考えは成り立つが、whether節内が完全な文かどうかとは無関係である。the questionとwhetherの関係は、「疑問詞の前のaboutはしばしば省略される」の一言で片づく。
この英文を訳出するに際し、the questionが主語であることを見抜く他に外せない箇所がもう一点ある。【the use】 と【that is made of the technique】の関係である。その関係はこうなっている。
We make use of the technique.において、受動態は二通り考えられる。
①The technique is made use of. その技術が利用される
②Use is made of the technique. 利用がその技術についてなされる
②を元に、useをthat関係詞で修飾すれば、the use that is made of the techniqueとなる。
「講評」では、この関係について触れていない。おそらくほぼ生徒の全員がこの関係を文法的に理解していないと思われる。それにもかかわらず、この箇所の解説をスルーしたのは、教師自身に文法力がないからである。要するに、自分がわかっていないことがわかっていないのである。
●想像力で読め
「講評」は、「単語の意味がわかるのに構造がわからず訳せないのはもったいない」とコメントする。
私なら、「もったいない」ではなく、「構造がわからず訳せないのは、致命的な欠陥である」とコメントする。この教師にとって、英単語こそが命であって、「英文を読む」とは、単語の意味をつなぎ合わせる作業のことをいうのだろう。英文の構造分析など、枝葉末節の技術なのだろう。確かに、この高校の『英語の学びかた』にはこう記されている。
「わからないところがあっても、前後の文脈から推測する。これが一番大切な作業で、読解に必要な想像力を鍛える訓練になる」
「英文を読む」ことについて、「想像力を駆使して読む」ことがこの高校の教師のコンセンサスなのである。知っている単語なのに訳せない英文など、いくらでも存在する。
①I don’t know what I said or even if I said anything.
これを、「私は何を言ったかわからないし、たとえ何かを言ったとしてもわからない」と訳したら0点である。
②He had his son teach music.(彼は息子に音楽を教えさせた)
③He had his son taught music.
②は訳せても、③が訳せない生徒は大勢いる。この高校では、①と③に関して、訓練で鍛えた想像力を駆使すれば、きっと適切な訳文が書けるのだろう。
●自ら手本を示せ
「講評」は要約についてこう述べる。「要約は文の大意を正しく理解するためにある。筆者の主張をまとめることである」。この「講評」氏に、ぜひ手本を示してもらいたい文章がある。
英語の科目には、①「英語コミュニケーション」と、②「論理・表現」の2科目がある。生徒の間では、「コミュ」と「英表」の略称で呼ばれている。しかし、「コミュ」も「英表」も共に説明文は要領を得ない。無駄な言葉がダラダラと続く。まれに見る悪文である。読んでいて気分が悪くなるほどの悪文である。その説明文とはどんなものか。
①「英語コミュニケーションⅠ」は、英語を聞いたり読んだりしたことの概要や要点を目的に応じて捉えたり、基本的な語句や文を使って情報や考え、気持ちなどを話して伝え合うやりとりを続けたり、論理性に注意して話したり書いたりできるようになることを目標とし、1年次に履修することになっています。英語を通じて情報や考えなどを理解したり伝えたりする能力を養うため、「聞くこと」「話すこと」「読むこと」「書くこと」の活動について、いずれかに偏ることがないように学習します。
②「論理・表現」は、「話すこと(やりとり)」「記すこと(発表)」「書くこと」の3つの領域を中心とした発信能力を養うことを目標としています。つまり、与えられた話題について即興で簡潔に話したり、読み手や目的に応じた英文を書いたり、聞いたり読んだりしたこと、学んだり経験したことに基づき、情報や考えなどをまとめて発表する学習です。―『英語のまなびかた』より
生徒に要約の訓練を課す前に、自ら率先して実例を示してはどうか。自分が勤務する高校の、まさに自分が担当する科目を、一言で要約してはどうか。肉屋が魚を販売したり、魚屋がケーキを扱っていたら、買い物客はそっぽを向く。
●バカバカしいだけでなく害になる
「講評」には、唐突にこんな意図が不明な説明が登場する。
「They had among them individuals.はThere were individuals among them.の意味」とある。
いったい何を伝えたいのか。中学生にでもわかるように単語を置き換えるとこうなる。
They had (among the fruits) apples.はThere were apples (among the fruits).
They had~をThere were~に変え、among the fruitsの位置を変えただけの話である。hadとapplesの関係はVOの関係で、VOの間に、among the fruitsが挿入された形である。VOの間に、前置詞句が挿入される形は、英文では極めて頻繁に見られる現象である。このことを説明するのに、They had~=There were~を持ち出す必然性はまったくない。意図不明の説明は、いたずらに生徒の頭を混乱させる。
芥川龍之介のアフォリズムにこんな言葉がある。
人生は一箱のマッチに似ている。重大に扱うのは莫迦莫迦しい。重大に扱わなければ危険である。
芥川の言葉を、この高校の「講評」に置き換えるとこうなる。
この「講評」は、重大に扱うのは莫迦莫迦しい。重大に扱わなければ生徒に害を及ぼす。
2024年2月13日