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量は質を転化する ― 音読のすすめ (11)          

●量質転化とは

 音読を続けていると、懐疑的な思いに駆られることがある。「こんなことを延々と続けても大した意味はないのではないか」「壮大なムダをやっているのではないか」。こんな思いが湧いてくるときは、たいてい音読にうんざりしてきたときや、モチベーションが下がってきたときだ。

 そんなとき「量質転化の法則」は、音読を続ける上での理論的な支えとなる。「量質転化」とは「量的な変化は質的な変化をもたらし、質的な変化は量的な変化をもたらす」ことをいう。

 この「量質転化」については、『弁証法とはどういう科学か』(三浦つとむ著・講談社現代新書)に詳しい。同書を読むと、わかりにくい弁証法が一気に身近になり、日々のできごとを弁証法的にとらえなおすことができる。「ものごとはつながっていて同時につながっていない」「まわりみちの重要性」「否定の否定とはどういうことか」「賢いからだまされる」「隠すためには隠さない」「あまりにも大きな文字は目に入らない」「失敗しないためには失敗する必要がある」「前進するには後退しなければならない」等々。

●質的な変化に気づかない

 同書では、「量質転化」をさまざまな例を挙げて解説している。そのなかからモルヒネの例を引いておこう。

 ――モルヒネの量が人体に及ぼす影響を調べてみると、ある量まではモルヒネは人体に対して無効である。しかし、ある量を越えるとモルヒネは人体に対して薬として作用するようになる。さらに量が増えると、薬としての限界を越え中毒量になり、ついには致死量に至る。

 モルヒネは一定量までは、増加しても質的な変化はないが、ある量に達すると急に質的な変化が起きる。この変化が起こる地点は絶対的で固定したものではなく、人間が異なれば相対的に変化する。大人と子どもでは異なり、大人の薬用量を赤ん坊に与えれば死ぬことにもなりかねない。また、同じ人物であっても、服用を重ねているうちに条件が変わり、量を増やさないと有効でなくなったり、致死量を服用しても平気だったりする。

 「量質転化」は、単なる量的な増大という一面だけを見ていてもそれ自体に質的な変化はないので、質的な変化が迫っていても、それを見逃す危険がある。――(同書P211を要略)

●量質転化と音読

 このことを音読に当てはめてみよう。それまで3回しか教科書を音読したことのない中学生が、30回も音読すれば、それだけで劇的な変化が起こるだろう。一方、高校の英語教師が、中学の教科書を30回音読したところで何の変化も起こらないかもしれない。

 しかし、変化が起こらないからといって、音読が無効だということではない。英語教師であっても、30回、300回、さらには3,000回と音読の回数を増やしていけば、量的な変化により質が転化することは容易に想像できる。『やさしくたくさん』のなかで、伊藤サム氏(ジャパンタイムズ・元編集長)は、やさしい原書を身長の2倍の高さになるまで読むことを提唱している。

 ある一定量を越え、質の変化する点を、三浦つとむ氏は結節点と呼んでいる。人は多様であって、さまざまな条件が絶えず発生し消滅しているから、この結節点がどこにあるかを予測することは困難だという。

 うまずたゆまず音読を続けていれば、質的な変化が起こる結節点は、いつかは間近に迫ってくる。それなのに、回数が増えても何の変化もないからと、音読を止めてしまってはもったいない。結節点がどこにあるかは誰にもわからないし、どのようなものかもわからない。勝手な期待は抱かずに淡々と続けるのがいい。質の変化は、予期せぬかたちで必ず訪れる。

 『ういろう売りの台詞』の音読を続けていて到達した結節点は、サプライジングなものだった。

●『ういろう売りの台詞』の衝撃

 20年近く前、『ういろう売りの台詞』を手に入れた。『ういろう売りの台詞』は、アナウンサーや俳優の滑舌訓練の教材としてよく利用されている。

 滑舌の訓練になるのならと、面白半分で読んでみた。いまなら3分足らずで読んでしまうが、読み始めたころは、読み通すのに5分くらいかかった。ストーリーがあるようで、ないような、舌がもつれそうなフレーズが続く。意味は不明でも、言葉遊びのような楽しさもあって、毎日読むことにした。

 慣れてくると、とちりそうな箇所でもスムーズにこなせるようになり、心地よく読めるようになっていった。読み始めて1、2年たったころ、回数でいうと700回目くらいのときに、サプライズは起こった。

 あるとき、目が追っている箇所よりも少し先の箇所をしゃべっていることに気づいた。目よりも先に口が動いていた。いつのまにか台詞を覚えていて、原稿を読んでいるのではなかった。音読していると思っていたら、実は暗唱になっていた。

 暗記しようなどとは考えたこともなかったのに、結果的に丸暗記していた。覚えようとして覚えたのではないから、忘れにくい。頭ではなく身体で覚えたものだから、たとえ忘れても気にならない。「量質転化」は、こういうことをいうのだろう。量の増大によって、「たんなる音読」から「丸暗記」へ、「朗読」から「暗唱」へと、その質は確かに変貌した。

 英文の音読をいまも続けている。継続のエネルギーが衰えないのは、『ういろう売りの台詞』の体験が強烈だったからかもしれない。「量質転化」は、いつ起こるか、どのようなかたちで起こるかは予測できない。しかし、必ず起こるものと確信している。

 現在、『英標』の音読回数は320回、『サンシャイン3』の音読回数は1,150回になっている。

2015年09月12日

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