勝浦英語塾では、英語指導歴30年のエキスパートが、大学受験英語を通して、30年後にも通じる、生き方と在り方とその方向性を伝えています。 

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サンシャイン3・サンシャイン2・全訳 ― 音読のすすめ (8)

 日本語訳は、日本語としての自然さよりも、英作のしやすさを優先した。音読を数百回くり返していると、かなり飽きてくる。日本語訳だけを見て、もとの英文を復元する「翻訳音読」をやると飽きがこない。「翻訳音読」は、脳に負荷がかかり、脳の筋トレになる。英会話能力が着実に向上していくのが実感できるだろう。


―― SUNSHINE ENGLISH COURSE 3(開隆堂・平成24年版)――


1. How Does Your School Chime Sound?

1-1

チャイムが鳴っている、ディンドン、ディンドン。
えっ、このメロディがわかるの?

はい。日本に来る前から知っていました。それは、ロンドンにあるあの有名な時計、ビッグ・ベンのチャイムです。

本当ですか? このチャイムは、毎日、日本の多くの学校で聞かれています。それは授業の始まりと終わりのたんなるシグナルだと思っていました。

では、あなたの学校のチャイムの歴史を調べてみてはどうですか?

1-2

はーい、ゆき。学校のチャイムについて何が分かりましたか?
すでにそれについてたくさんのことをウェブ上で見つけました。

いいですね。ウェブは何と言っていますか?

見てください。このページを見つけたところなんです。学校のチャイムは約60年の歴史があると言っています。それは、日本の中学校の先生とその友だちの機械工によって作られました。

そうですか? では、次の授業でそのことを話してくれませんか?
もちろんいいです、でも、まず私の英語をチェックしてくれませんか?

1-3

スピーチの準備を終えましたか、ゆき?
ほぼ。でも、まだそれを書き終えていません。本文はこうです。

約60年前、中学校の先生が新しい学校のベルを作りたいと思いました。
そのときまで、学校のベルはウーと鳴っていました。

その音を聞くと、空襲警報を思い出す生徒がいました。そこで、その先生と友だちが新しい機械を作り、ビッグベンのチャイムを選びました。

よくできました。最後に「なにか質問はありませんか」をつけ加えてはどうでしょう?

2. Volcanoes in Japan

2-1

楽しそうね。いいニュース?

友だちの太郎から手紙を受け取ったところなの。私たちは3年以上もいい友だちでいたのよ。

彼はどこに住んでるの? この近くには住んでないよね?

うん、住んでないよ。昔は私の近くに住んでいたんだけれど、お父さんが今、鹿児島で仕事をしているのよ。だから、彼と彼の家族は今、鹿児島に住んでいるのよ。

彼はそこに住んで長いの?
いいえ。先月からそこに住んでるわ。

2-2

2012年4月30日

リサへ

ハーイ! ここに引っ越してからずっと、とても忙しいです。 鹿児島は住むのにいい場所です。思った以上にすばらしいです。

たくさの観光スポットがあって、ボクは桜島がいちばん好きです。火山を見たことがありますか? 桜島には、3つの活火山、北岳、中岳、それに南岳があります。

キミがこの町に来たことがないのは知ってるよ。だから、キミがもしここに来れば、喜んで案内するよ。

タローより

2-3

富士山は日本でいちばん高い山です。それは火山ですが、1707年以来、噴火していません。300年以上「眠って」いるんです。

日本には100以上の火山があります。それは、一つの国としては多い数です。

浅間山のような火山はしばしば噴火します。どれくらいの数の火山を見たことがありますか?

浅間山には二度、訪れたことがありますが、桜島には行ったことがありません。

3. The 5 Rs to Save the Earth

3-1

あのゴミの山をみてごらん!
何というムダでしょう! このイスはまだ使えるわ。

それはたしかだね。それについて何かをすべきだ。

ええ。私たちがゴミの量を減らすことが重要だわ。

まさしく! ボクたちはもっとリサイクルすることが必要だ。ボクたちはたくさんの物を捨てているけれど、それらのうちのいくつかはリサイクルできる。

私の国では、たくさんの物をリサイクルしてるわ。

そうなの? ボクたちはまたミルクのボトルのような物を再利用できるね。

そうね、これらは3つのRだわ:減らす、リサイクルする、それに再利用する。

3-2

私たちはあの3つのR以上のことができるのを、知っている?

本当に? 何ができるの?

私たちは、地球に優しくなる方法を学ぶことができるのよ。たとえば、たくさんの人がお店でもらうレジ袋を使っているけれど、彼らは(それらを)使うことを本当は必要としてないわ。

それは本当だ。レジ袋は石油からできている。大量のCO2が生み出されるんだ、それらが作られるときには。

私たちは、それらを使うことを「断る」ことができて、私たち自身の買い物袋を使うことができるわ。私たちがそれを行うのは簡単なことだわ。

3-3

リサ、おととい4つのRについてボクたちが話をしたのを覚えている?
もう1つ付け加えておきたいRがあるんだ。

このあいだ、気がつくとボクの自転車のチェーンが壊れていたんだ。ボクは「ラッキーだ!」と、そのとき思った。

ボクはお父さんに新しいのを買ってくれるように頼んだんだ。でも、彼(お父さん)は言ったんだ、「新しいのは必要ない。私はおまえの自転車を直すことができる」と。それから数日たって、彼(お父さん)はボクのためにそれを修理してくれた。

ボクが思うに「修理する」は5番目のRだ。ボクたちはこの5つのRを覚えておかなければいけない、もしボクたちが心から地球のことを気づかうなら。

4. Faithful Elephants

4-1

何年も前に、上野動物園に3頭の素晴らしい象がいた。象はジョン、トンキー、それにウォンリーだった。かれらは芸ができた。動物園を訪れる人たちは彼らの芸を見るのが大好きだった。

日本はそのとき、戦争中だった。徐々に、状況は悪くなっていた。爆弾が東京に毎日落とされた。

もし爆弾が動物園に落ちれば、危険な動物たちが逃げ出し、東京の人々を傷つけるだろう。そこで、軍は、ライオンや、トラや、クマのようなすべての危険な動物を殺すように動物園に命じた。

4-2

まもなく、その3頭の象を殺すときが来た。動物園の飼育員たちはかれらを殺したくなかったが、その命令に従わなければならなかった。かれらはジョンから始めた。

ジョンはポテトが大好きだったので、かれらは彼に毒入りポテトを普通のと一緒に与えた。しかし、ジョンはとても賢くて普通のポテトしか食べなかった。

そこで、かれらは彼に注射をしようとした。でも、ジョンの皮膚はとても硬くて注射針が通らなかった。

これが上手くいかなかったとき、かれらは彼に食べ物を与えないことにした。かわいそうなジョンは17日後に死んだ。

4-3

それからトンキーとウォンリーの時が来た。かれらはいつも優しい目で人々を見ていた。かれらは可愛くてやさしい心をしていた。

しかしながら、象の飼育員たちは、食べる物をかれらに与えることを止めねばならなかった。飼育員がオリのそばを歩いて通り過ぎたとき、かれらは立ち上がり、鼻を空中高く上げた。かれらは芸をした、食べ物と水を得ることを望んでいたので。

動物園にいる人はみな涙をためて言った、「もしかれらがもう数日永く生きることができれば、戦争が終わるかもしれないしかれらは救われるかもしれない」と。

4-4

トンキーとウォンリーはもう動くことができなかった。かれらは地面に横たわっていたが、彼らの目は美しかった。

象の飼育員がかれらを見にやってきたときに、かれらはとても弱っているように見えた。彼はとてもつらくて、かれらを見に戻ることができなかった。

爆弾は東京に落ち続けていた。そしてそれから数日たって、トンキーとウォンリーは亡くなった。のちに、象の身体が検査されたとき、かれらの胃には何もなかった、―1滴の水さえも。

現在、その3頭の象は他の動物たちとともに、上野動物園の記念碑の下で、安らかに眠っている。

5. Sushi-Go-Around in the World

5-1

日本の食べ物は好きですか?
はい、とても好きです。

どんなものが好きですか?
あっ、おすしがいちばん好きです。それはオーストラリアでも、このごろ人気があります。

コンベイヤーベルトのあるすし店に行ったことがありますか? 日本では、それを「回転ずし」と呼んでいます。

はい、あります。オーストラリアのいくつかのレストランでは、すしがトラック上を列車に乗って回っています。それらをすし列車レストランと呼ぶ人もいます。

へえー、本当? それは面白いすしの出し方だね。

5-2

回転ずしには面白い歴史がある。最初の回転ずし店は、白石義昭氏、大阪の寿司職人、によって1958年に開設された。それは、日本ですしをもっと人気のあるものにした。

本当なの? 彼はどうやって思いついたの?

彼がその考えを思いついたのは、ビール工場でボトルを見たときだった。
それらはコンベヤベルト上を移動していた。

それは本当なの?

うん。回転ずしのベルトは、1秒間に8センチ進むんだ。
それは、お客さんが皿を持ち上げるのにぴったりのスピードだったんだ。

それはすごい! 白石氏は思い付きの人だったんだね。彼の考えは、すしを世界でもっと人気のあるものにするのに役立ったんだ。

5-3

下の地図を見てください。現在、たくさんの日本料理店が世界中にあります。

日本食がなぜそんなに評判がよくなったか知っていますか? 多くの人びとが日本食は健康的だと考えています。

ご存知のように、伝統的な日本料理は新鮮な魚と野菜を使っています。それらは脂肪が少ないのです。

地図の隣にあるグラフから、私たちにはわかります、どんなに速く日本料理店がその数において合衆国で増えていっているかが。

日本料理店はおよそ4,000件、1995年には、ありました。2005年には、その数の2倍以上がありました。

これらのデータは日本食が世界中でさらに評判がよくなっていることを示しています。

6. Let's Talk about Things Japanese.

6-1

動物たちが一緒に遊んでいるこれらの絵を見てください。それらは、鳥獣戯画、すなわち「鳥と動物の風刺画」と呼ばれています。

数日前にそれらを初めて見たとき、私はそれらにとても興味をもちました。私は、カエルとウサギがレスリングを楽しんでいるこの場面が特に好きでした。

鳥獣戯画について昨日ネットで読みました。それらの絵は700年前に描かれたのだということを私は学びました。

それらは日本でいちばん古いマンガだという人もいます。もしそれが本当なら、日本におけるマンガの歴史はとても長い。

6-2

以前、これを見たことがある? けん玉と呼ばれる日本のおもちゃです。それは元々は中国から来ています。

その遊び方を教えてあげるわ。カップのうちの1つの中にボールをキャッチするか、ピンの上でボールをキャッチするのよ、こんなふうに。

わたしは思うんだけど、けん玉で遊ぶ方がヨーヨーで遊ぶより難しいわ。

あなたも知っているように、けん玉は、ヨーヨーと同じように、子どもと大人の両方に楽しまれているおもちゃなのよ。いったんそれで遊び始めると、止まらなくなるわよ。

6-3

1.舞台を見てごらん。舞台で踊っている女の子はボクのいとこだよ。

2. たこ焼き屋のそばにいる生徒たちがみえる? たこ焼きを食べている男の子はボクの弟だよ。

3. 舞台の前に3人の女性が座っているでしょう。私の叔母は黄色い着物着ている人よ。

7. What Is the Most Important Thing to You?

7-1

現在、多くの日本人が海外でボランティアとして働いています。
そのなかに、山本敏晴、医師で写真家、がいます。

彼は小学校の時に、お父さんと一緒にアフリカを訪れました。飢餓と病気に苦しむたくさんの病人を見てショックを受けました。

それ以来、国際協力に興味を持ってきました。彼はたくさんの発展途上国を訪れ、多くの貧しい人々を助けてきました。

彼はまた、医者や看護師としてそういった国々で働きたいと思っている人びとを訓練するプログラムを始めました。

7-2

途上国を訪れたとき、山本さんはいつも子どもたちに会います。彼は彼らに、かれらにとって大切なものを描くように頼みます。

ここに、マルアオ、13歳のツバルの少年の描いた絵があります。この絵は、大切なのは気候の変化を止めることだということを示しています。もしそうしないと、ツバルは将来いつの日か海に沈んでしまうかもしれません。

次の写真を見てください。それは、ジタリウク、15歳、ルーマニア、によって描かれました。この絵は、彼女の国の旗を示しています。彼女は、「私にとっていちばん大切なものは私の国です」と言っています。

7-3

2004年に、山本さんは「宇宙船地球号」と呼ばれるグループをはじめました。その目標の1つは、世界の利益のために進んで働こうとする人々を訓練することです。彼が示そうと望んでいるのは、有意義な国際協力を促進するいくつかの方法です。

彼は子どもたちの絵を集め続けていきます、大きなアート・イベント・プロジェクトのために。そのプロジェクトは、世界の違いについて子どもたちの観点から、人々が学ぶのを助けていきます。

あなたにとって最も重要なものは何ですか? そのことについてしばらくの間考えてください。

8. Clean Energy Sources

8-1

何をしているの? 実際に動く風車を作っているんだよ。

すごいね。風車は私たちの将来にとって役にたつと思うわ。

ボクもそう思うよ。それらは電気を生み出すけれど、化石燃料を使わないんだ。

それが重要なのよ。私たちが使うことのできる化石燃料の量はとてもわずかなのよ。

うん。だけど風力は違うんだ。それは、ボクたちが将来使うことの出来る種類のエネルギーなんだ。それに、風車は温室ガスを排出しないんだ。

だから、風力はクリーンなエネルギー源だと言えるんだ。

8-2

今日は、太陽エネルギーについて話をするよ。太陽はとても長い間、私たちにたくさんのエネルギーを与えてくれてきた。

私たちが太陽から手に入れる光線は、太陽エネルギー生み出す。私たちはちがった形で、太陽エネルギーを電気に変えることができる。

まず第一に、太陽光は、太陽電池によって、電気に変えられる。このシステムは、時計、計算機、それに携帯電話に充電するのに使われている。

二番目に、電気を生み出すために、私たちは太陽熱がつくり出す蒸気を使うことができる。それは発電所のタービンを回す。

9. Mother Teresa

9-1

1人の子どもが、1910年8月26日、マケドニアに生まれた。彼女はアグネスと名付けられ、のちにマザー・テレサとして知られるようになった。

1929年に、彼女はインドへ行った。彼女はコルカタのセント・メアリー高校で地理と歴史を教えた。

1931年に、彼女は修道女になろうと心に決め、テレサと名乗った。36歳になったときに、彼女の生活は変わり始めた。彼女は貧しい人々の中で生活することによって貧しい人々を助けようと決心した。

9-2

多くのことを、例えば、病気の人々の看護や、他の形での人々の救済を学んだ後で、彼女は、コルカタへ戻った。

彼女はその市でいちばん貧しい場所の一つに住んだ。彼女は近所から数人の子どもたちを一緒に集めた。彼女は、棒きれで地面に文字を書いてアルファベットを彼らに教えた。

彼女はその子どもたちに洗い方を見せて、彼女は彼ら一人ひとりに1個の石けんを与えた。彼女はまた、出かけていって、貧しい人々のために食べ物の物乞いをした。

9-3

テレサは子どもたちが大好きだった。彼女は、数人の修道女たちによって彼女のところへ連れこられた幼い少年のことを話すのが好きだった。彼はひどい腹痛に苦しんでいた。

「そこで、私はその子を座らせて、なにかを最後に食べたのはいつかを聞いたのよ。あの朝は? なし。夕べは? なし。昨日は? なし。その腹痛は空腹から来ていたのよ!」

 テレサは貧しい子どもたちのために一生懸命働いた。たとえば、彼女は国際基金を始めた、そしてその基金は、彼ら(子どもたち)を教育(訓練)するプログラムを支援することによって、子どもたちを救済するものだった。

9-4

多くの女の子がテレサに加わるために裕福な家庭から「ドロップアウト」した、そして彼女たちは貧しい人々の着る白いサリーを身につけた。マザー・テレサは神の愛の宣教者会を始めた。彼女のまずしい人々への愛は、すぐに遠く広く世界中の多くの場所へと拡がった。

宣教者会は彼女たちの優しい心だけに頼ったのではない。彼女たちはみんな、貧しい人々を救うために、看護や教育(教えること)のような専門職を学んでいる。彼女たちの信念の一つは言っている、「私たちは地球の塩になるべきだ」と。

10. After Twenty Years

10-1

ある寒い晩、ニューヨーク市で、一人の警官が暗い通りを歩いていた。彼は、店のドアの近くにいる男をみて、その男の方へと歩いて近づいて行った。

「何でもありません、おまわりさん」とその男は言った。「ちょっと友だちを待っているんです。20年前に私たちは今夜ここでもう一度会う約束をしたんです」

それから、その男はタバコを吸うためにマッチを擦った。その灯りが彼の顔を照らした。彼は話し続けた。「私たちはここでサヨナラを言った。私は一財産をつくるために西部に向かって出発した。私は18歳だった」

「とても興味深い!」と、その警官は言った。「友だちが無事にやって来ることを願ってるよ」。それから彼は立ち去った。

10-2

それからおよそ20分たって、一人の背の高い男が通りの反対側からやって来た。彼の顔は暗闇の中ではっきりしなかった。

「ボブなのかい?」と、その背の高い男は尋ねた。
「ジミーなのかい?」と、ドアのそばにいた男は叫んだ。それぞれの男はお互いの手を取った。

「ずいぶん変わったな、ジミー!」
「おお、20歳になってから少し伸びたんだ」と、背の高い男は言った。
「ニューヨークでは、上手くやっているのか、ジミー?」
「うん。市に勤めているんだ。よく知っている場所に行って、昔のことをたっぷり話そう」

二人の男は暗い通りを歩き始めた。

10-3

「西部で上手くいったのか、ボブ?」と、背の高い男は聞いた。
「ああ、上手くいったよ!」と、ボブは答えた。そして、彼は西部での生活の話を語り始めた。

その通りの角に、ドラッグストアがあった。その灯りがともっていた。二人の男がその店の近くに来たときに、彼らは立ち止まって、お互いの顔を見るために振り返った。

「おまえはジミーじゃない!」とボブが言った。「20年は長い年月だが、人の顔をそんなに変えることはない」

「それは、ときどき善人を悪人に変える」と、背の高い男は言った。

10-4

「おまえは、シカゴ警察に指名手配されている。おまえは逮捕されて10分になる、ボブ。さて、行く前に、お前に手渡すように頼まれたメモがここにある。ジミーからだよ」と、その背の高い男は言った。

西部から来たその男がそのメモを読み終えたとき、彼の手は少し震えた。

ボブへ

おれは、おれたちが決めた場所に時間通りにいた。そこでおまえを見つけて嬉しかった。しかし、おまえがタバコを吸うためにマッチを擦ったとき、シカゴで指名手配されている男の顔を見たんだ。どういうわけかおれは自分自身でそうすることができず、だからおまえを連れてくるように他の警官をやったんだ。

ジミーより

2015年04月23日

―― SUNSHINE ENGLISH COURSE 2(開隆堂・平成24年版)――

1. Did You Enjoy Your Vacation?

1-1

あなたは休暇を楽しみましたか?

はい。私は京都に先週行きました。

本当? あなたはそこで何を見ましたか?

私は枯山水の庭を初めて見ました。

枯山水の庭?

それは、日本式の岩庭で、そしてそれはとても伝統的なものです。私はたくさんの写真を撮りました。はいこれらです。

まあ、きれい!これらは伝統的な京料理ですか?

はい。私は、湯豆腐と田楽を、嵐山で楽しみました。私は京料理が大好きです。私は楽しいひとときをそこで過ごしました。

1-2

あなたはどこかへ行きましたか、ゆき?

私は韓国に家族と一緒に4月の始めに行きました。わたしたちはソウルの近くにある韓国民俗村を訪れました。

そこで何を見ましたか?

農民のバンド・ダンスを見ました。

そうですか。それはどうでしたか?

それは本当によかったです。彼らの音楽と踊りが刺激的でした。

あなたは伝統的な韓国料理を試してみましたか?

はい。それらは辛かったけれど本当に美味しかったです。私はそれらをとても楽しみました。

1-3

私は桜公園へ友だちと先週の日曜日に行きました。私たちはおおぜいの人をそこで、正午ごろ見ました。かれらは桜の木の下に座っていました。かれらは「花見」パーティを開いているところでした。

食べている人もいれば、歌っている人もいました。「春はここにある!」と人々は言いました。

合衆国では、私たちにはイースターが春にあります。これはイースター・エッグです。私はイースター・エッグ探しがなつかしいです。

ありがとう。

2. A trip to Finland

2-1

何だと思う! 私はフィンランドを、この夏、訪問するのよ。

それはすごいね! どうしてなの?

私たちの市はヘルシンキと学生交流プログラムを持っているのよ。

なるほど。どのくらいそこに滞在するの?

1週間よ。私はヘルシンキのフィンランド人のホスト・ファミリーのところに滞在するのよ。

かれらは英語をしゃべるの?

はい。かれらは、3カ国語を、フィンランド語、スエーデン語、それに英語をしゃべるのよ。だから、私はかれらと英語で話をすることができるのよ。

2-2

ヘルシンキでは何をするの?

私は何人かのフィンランド人の学生と会って話をするわ。

へえ、そうなの? 何か他にはするの?

そうねえ、はっきりしてないのよ。たぶん私の家族のためにショッピングをすると思うわ。

いい考えだね! フィンランドは素晴らしいデザインで有名です。

それにたぶんいくつかの美術館にも行くと思うわ。

3. Charity Walk

3-1

マウイのチャリティー・ウォーク

 私たちの町の病院を助けてください、子どもたちのために。

・ウォークは、サッカー公園で始まってサッカー公園で終わります。

・あなたの名前をリストに載せることができます、ウォークの日の6:30 a.m.からです。

・ウォークは7:00 a.m.に始まります。ウォークを7:30 a.m までに始めなければいけません。

・ウォーク(の参加)には15ドルを払わなければいけません。そのお金は全部、病院にいきます。

3-2

カナダにはなにかチャリティ・ウォークはありますか?

はい。たとえば、私たちは「ウォーク・ザ・ワールド」があります。

「ウォーク・ザ・ワールド?」 それは世界的なイベントですか?

はい。毎年、世界中の人々が歩きます、飢餓に反対して、同じ日に。

私たちはそのウォークに日本で参加できますか?

はい。でも、その日取りは覚えてないんです。

じゃあボクがウェブでチェックしなくては。

いいえ、その必要はありません。それについての絵ハガキをすぐに手に入れます。

3-3

ボクたちが、ボクたち自身のチャリティ・イベントを計画してはどうでしょうか? 

はい。それはすごい考えだと私は思います。

ボクたちはボクたちの古い本やCDを売ることができて、いくらかのお金を得ることができます。そのお金をチャリティ団体に送ることができます。

それは素晴らしいと私は思います。

ボクたちは、またボクたちの古着を持ってくることもできます。

その通りです。私たちはそれらをただ捨てるべきだとは私は思いません。

他に何がボクたちはできるだろうか?

4. The Pillow

4-1

「私はとうとうやった!」と、Dr.Fは彼の小さな部屋で言った。
「これはたいへんな発明品だ」

彼の隣人が彼の声を聞いてやって来た。
「あなたは何を作ったんですか? それは私には枕のように見えます」

博士のデスクの上の物はちょうど枕のように見えた。

「はい、それは枕です」と、博士は言った。「でも、それはただの枕ではないんです」

隣人はその発明品の中を見た。「すごい。あなたは素晴らしい夢を見ることができます」

4-2

「いいえ、」と博士は言った。「あなたはあなたの睡眠中に学習することができるのです」

「学習? 何をあなたは学ぶことができるのですか?」
「あなたは英語を学ぶことができます。多くの人々がこの枕を欲しがるでしょう」

「それは上手くいくんですか?」

「そう願っています。でもまだそれを試してはいませんでした。私はすでに英語をしゃべります、だからそれを自分自身で試すことはできないのです」と、博士は言った。

「それを、私で試してみてはどうでしょう?」

「いいでしょう。それをあなたにあげましょう」

「どれくらいかかるのですか?」

「およそ1ヶ月です」

「ありがとうございます、やってみます」

隣人はその枕を家に持って帰った。

それから2ヶ月たって、かれはその枕をDr.Fに戻した。

4-3

「それを使ってみましたが、私は一つの英語の単語も学びませんでした」

「それは妙ですね」と博士は言った。彼はその枕の中を見た。「すべてが異常ない。私は間違ったのだろうか?」と彼は言った。

それからしばらくたって、博士は隣人の娘さんを通りで見かけた。

「お父さんはどうですか?」と彼はたずねた。

「大丈夫です、ありがとうございます。でも彼は近頃ちょっと奇妙なのです。彼は英語で睡眠中しゃべるのです。彼はそんなことは以前は決してありませんでした。なにが起こったのでしょうか?」

彼は彼の睡眠中に何かを学んだ。しかし彼はそれを睡眠中にだけ使うことができる。

5. Gulliver's Travels

5-1

この本を見てごらん。

わー。ひどいわね! なぜ彼らはあんなことをしているの?

彼らはガリバーを怖がっているからだよ。

かわいそうなガリバー。彼はとても大きいわ。

この本には他にもたくさん面白い話があるよ。

それらはどんなもの?

たとえば、空飛ぶ島についての話があるよ。

それはラピュタのこと? 私はそれを映画で見たわ。

そうなの? 巨人の国と馬の国についての話もあるよ。

5-2

ガリバー旅行記の中に面白い話があります。

それは何ですか?

イギリスに帰る途中、ガリバーは日本を訪れました。

本当に?

彼は日本に滞在していたときに、彼は「ナンガサック」と「ザモウスキ」を訪問しました。

それらはどの町なのですか?

それらは、長崎と横須賀の観音崎のことだと考えている人もいます。

なぜかれらはそう考えるのですか?

これらの名前を書いてごらん。

いま、わかりました。

5-3

もしあなたが横須賀に秋に来たら、あなたは観音崎に行くべきです。あなたはガリバーの衣装を着た背の高い人をフェスティバルで見ることができます。

もしあなたが札幌に冬に来たら、あなたはスノー・フェスティバルを見に行くべきです。あなたは美しい景色が楽しめるでしょう。

もしあなたが佐賀に来たら、吉野ヶ里歴史公園に行ってください。その公園にいると、あなたは日本の歴史について学ぶでしょう。

6. A Work Experience Pogram

6-1

ゆき、あなたはどこで働きましたか?

私はサッカースタジアムの近くの保育園で働きました。

ほんとうに? あなたはそこで何をしましたか?

私は歌を歌ってその子どもたちと遊びました。

あなたはその経験を楽しみましたか?

はい。私はそこですばらしい時間を持ちました。その子どもたちは、ほとんどすぐに私のことを好いてくれました。

あなたは子どもたちと遊ぶのが好きですか?

はい、とても。私は保育園の先生に将来なりたいです。子どもたちの世話をしたいのです。

6-2

あなたの仕事の経験はどうでしたか、たけし?

それは大変でしたけど、刺激的でした。

どこであなたたちは働いたのですか?

私たちはこの近くの有名なスーパーマーケットで働きました。多くの人々が、食べ物を買うために、その店に来ました。

本当に? あなたたちは何をしたのですか?

私たちは、ときどき食べ物を売りましたが、お客さんを出迎えるために、しょっちゅうドアのところに立ちました。私たちは大きな声で言いました、「いらっしゃいませ」と。

あなたたちは何かを学びましたか?

はい。あいさつは、よいコミュニケーションへのドアを開きます。

6-3

私はコンピュータ工場で仕事の経験をしました。私はコンピュータについてたくさんのことをそこで学びました。

将来、私はコンピュータエンジニアになりたいです。なぜだかわかりますか?

コンピュータは私たちにとってとても役立つものだと私は思います。また、エンジニアリングは勉強するのにとても重要な学科だと思います。

しかし、コンピュータエンジニアになるためには、私が学ばなければならない事がたくさんあります。

私は数学と科学をおおいに勉強します。ありがとうございます。

7. If You wish to See a Change

7-1

「たとえあなたがたが環境を修復できなくても、それを壊すのを止めてください」

セヴァンは、世界の指導者たちに、1992年リオの地球サミットで訴えました。

彼女はわずか12歳でした。しかし、彼女は、私たちがみんな大きな家族の一部であるということを知っていました。

彼女は、私たちが動物や植物を救うために私たちのライフスタイルを変えなければならないと、考えました。

それから何年もたってから、セヴァンは彼女の信念について話し始めます。

7-2

地球サミットは大きなイベントでした、そしてそれは私の人生を変えました。私は有名になりました。私は世界中の人々と会い話をするたくさんのチャンスを持ちました。

私はいつも言います、「1つの国にいる人々は、他の国々にいる人々の助けなしでは1日も生きられない」と。

日本にいる人々は、たとえば、中国にいる人たちのことを考えなくてはいけません、かれら(日本人)が服を着ているときに。

彼らは(日本人)はまたアフリカや南米にいる人たちのことを考えなくてはいけません、彼ら(日本人)がチョコレートを食べてそして幸せ感じるときに。

7-3

マハトマ・ガンジーは何年も前に言いました、「もしあなたが世の中における変化を見たいのなら、あなた自身をまず変えなければいけません」と。

私が地球サミットのためにリオにいたとき、私は何人かのストリートチルドレンに会いました。ひとりの女の子が言いました、「もし私が金持ちなら、すべてのストリートチルドレンに、食べ物と服と愛をあげます」と。

私は思いました、「もしお腹をすかしたストリートチャイルドが一緒に食べたがっているのなら、私たちはどうしてまだ欲張りでいられるでしょうか」と。

私たちが変化でなければならないし、地球に未来を与えなけれななりません。

8. A Shelter for Pet Animals

8-1

およそ30万人の人々が地震でかれらの家を失った。多くのペットたちもまたホームレスになった。これらのペットたちの多くはケガをしていた。

旗谷医師はそれを鮮明に覚えている。ある女性は自分の犬を散歩させていた、寒い朝に靴も履かずに。ある男性は自分の犬と一つの毛布を分け合っていた。その女性も男性も両方とも考えていた、「このペットと一緒なら私は生きていける」と。

そのとき、旗谷医師は思った、「私は何かをしなくてはいけない。ぺットもまた家を必要としている」と。

8-2

旗谷医師は獣医であり神戸で一生懸命働いていた。松田さんは彼を手伝っていて、そして彼らは動物救助活動を行い始めた。

彼らは神戸市から土地を借りて、ホームレスのペットのためのシェルターを他のボランティアたちとともに作った。

旗谷医師はたくさんの電話をペットの飼い主から受けた。彼らはたずねた、「私たちに代わってどうか自分たちの犬を飼ってもらえませんか」と。

全部で約1500匹の犬がいた。「この犬たちは自分の家を必要としている」と、旗谷医師は思った。「この犬たちを救うために私たちは新しい飼い主を見つけなければならない」

大人の犬は新しい飼い主とともに幸せになれるだろうか。この疑問が残った。

8-3

それから10年たって、2005年に、旗谷医師は松田さんは動物の世話に関する国際会議に出席した。

彼らは自分たちの動物救助の努力を振り返った。彼らは、自分たちの活動を通して、大人の犬は新しい家族のよいメンバーになれることが分かった。

神戸にいる人々は人間と動物とのつながりの重要性を地震を通して学んだ:すなわち、人は動物を助け、そして動物もまた人を助ける。動物を助けることはまた人々を助けることだ。

旗谷医師は松田さんとともに今でもまだ神戸にいる人々と動物たちを助けている。

9. A Priest in a Mask

9-1

セルジオ・ベニテスは悪い子だった。彼は20歳になったときに、彼は地元の牧師に助けを求めて会いに行った。その牧師は、彼に耳をまったくかさないで、彼を教会から追い出した。

セルジオは牧師になろうと決めた、そしてかわいそうな子どもたちを助けようと決めた。彼はとても一生懸命勉強した。それから10年たって、彼は牧師になった。次から次と、子どもたちが彼のところにやって来た。最初は、およそ25人の子どもたちがいた。子どもたちを教えるのは彼にとってたいへんだった。しかし、彼らのために十分なお金を稼ぐことはそれ以上にもっとたいへんだった。

9-2

ある日、セルジオはプロレスの試合をテレビで観た。すべてのレスラーがマスクを着用していた。「これだ!」と、彼は思った。「私はたくさんお金を稼ぐことができる、自分の顔を見せないで」。しかし彼の計画は上手くいかなかった、なぜなら彼はどんな試合にも勝てなかったからだ。

人々は、フレイ・トルメンタは牧師であるということを知るようになった。その牧師レスラーは、レスラーすべての中で最大のスターになった。セルジオは子どもたちのために試合をして、たくさんのお金を得た。ついに、彼は子どもたちのためのホームを、そのお金で、1988年に建てることができた。

9-3

セルジオはそのホームを運営するためにお金が必要だった。そこで、彼はレスリングをし続けなければならなかった。しかし彼はどんどん歳を取り過ぎていった。彼が56歳になったとき、彼はマスクを脱ぎ、レスリングを止めた。

セルジオの子どもたちのうちの一人がセルジオを助けることを望んだ。彼の名はマリオでした。マリオは弁護士だった。彼はセルジオのホームで育ちました。マリオは、「フレイ・トルメンタ・ジュニア」と名乗った。マリオはたくさん試合をした。彼はセルジオと同じくらい勇敢だった。一緒になって、マリオとセルジオは多くの子どもたちを助けた。

10. So Many Countries, So Many Customs

10-1

あなたのオーストラリアでのホームステイはどうでしたか?

それはたんなる旅行より面白かったけれど、私は最初はとまどったわ。

あ、そうだったの?

私のホストのお母さんが冷蔵庫を指して言ったの、「勝手にやってね」って。

何か食べ物を手にしたの?

いいえ。どうしてそんなことができるの?

桃子、キミのホストファミリーはキミを家族の一員として扱いたかったんだよ。それがすべての中でいちばん大事なポイントなんだよ。

ええ。そのことが後になってわかったわ。彼らは、彼らのゲストがくつろげるようにとたんに望んでいただけだったのね。

10-2

ボクもいちど日本で似たような経験をしたよ。

まあ、そうだったの? そのことについて話してよ。

ボクのホストファミリーはいつでも西洋食をボクのために作ってくれたんだ。

いつも? でも私はあなたが西洋食よりも日本食の方が好きだって聞いているわ。

うん、ボクは夕食にはごはんがいちばん好きなのだけれど、彼女(ホストファミリーのお母さん)はいつでもボクにパンを出してくれたんだ。

彼女はたぶんあなたがパンがいちばん好きだと思っていたのよ。彼女はあなたをゲストとして扱っていたんだわ。

そのことが今はわかるよ。彼女はボクに対してていねいにしようとしていただけだったんだ。

それぞれの国にはその国自身の習慣があるのよ。私たちはその違いを理解しなくてはいけないのよ。

10-3

マイクはお腹が痛かった、そしてお医者さんに英語で聞いた、「食べることはできますか?」と。

そのお医者さんは言いました、「けっこうです」と。それは「ノー」をマイクには意味していた。そこで彼は一日じゅう食べなかった。

「けっこうです」は、「いいです」よりも彼にとってもっとむずかしかった。

桃子は、アメリカのパーティで似たような経験をした。アメリカ人の彼女の友だちの一人が彼女に言った、「紅茶はいかがですか?」と。

桃子は他のどんな飲み物よりも紅茶が好きだった。そこで彼女は言った、「まあ、すみません」と。

彼女は紅茶を得ることはなかった。桃子は英語でしゃべっていたけれど、日本語で考えていた。ありがとう。

11. Yui― To Share Is to Live.

11-1

あなたは屋根の上に乗ったおおぜいの人々を見ることができます。彼らはわらぶき屋根をふき替えています。

大量のわらがそれぞれの屋根の上に使われています。この小さな村では、すべての人々が一緒になって、お互いを助け合います。「ゆい」、すなわち仕事を分担すること、が彼らの生活方法です。

私の祖母はかつてこう言っていました、「昔は、私たちはコミュニティの中でいつでもお互いを助け合っていた。このようなライフスタイルは、日本の多くの場所で見られた」と。私は思います、チームワークはとても大事だと、むずかしい仕事がずっと簡単になるからです。

11-2

わらぶき屋根のせいで、この様式の家は簡単に火が燃え移ります。1日に4度、人々は村を歩いて廻り、「火の用心!」と叫ばなければなりません。

また村は防火訓練を年に1度行います。防火訓練でその作業は村のみんなによって行われます。多く家は大きな放水銃さえ持っています。それらは火が拡がるのを防ぐために使われます。

11-3

私は白川郷を去年の冬訪れました。この写真を見てください。

息をのむようだと思いませんか? 雪はおよそ2メーターの深さがありました。だからすべての家は雪でおおわれていました。夜には、しかしながら、見てわかるように、驚くべき光景が多くの光によって作られました。

その村はとても美しいです。あなたは白川郷をいつか訪れるべきです。

ありがとうございます。

12. Her Dream Came True.

12-1

親愛なる親切な方へ、

私は日本の中学生です。

私の父は3か月前にガンで亡くなりました。彼は海外を旅行したがっていましたが、彼はできませんでした。彼は医師でいつもとても忙しくしていました。

私はこの小さな手づくりのテディベア、マックを世界中に彼(父)の代わりに送り届けたいと思います。どうかお願いですから私を手伝って、彼(マック)をあなたと一緒に連れていってもらえませんか? それから、彼(マック)をまた別の人に渡していってください。私は父がマックの目を通して世界を見られるように願っています。

ありがとうございます、

春日めぐみ

12-2

めぐみはたくさんのぬいぐるみの動物を持っていました。彼女はお母さんの助けを借りてその旅行のための一つのぬいぐるみを選びました。彼女は他のどのぬいぐるみの動物よりもテディベアたちが好きでした。それらは軽くてやわらかでした。彼女は思いました、「テディベアたちは長旅に向いている」と。めぐみはすべての中でマックが一番好きでした。

彼女の英語の先生が彼女の考えを聞いて、マックを連れて合衆国のジョージア州のアトランタの家へ帰りました。それからその先生はスウェーデンのストックホルムにいる別の学校の先生にマックを渡しました。マックはその学校の子どもたちの間でとても評判になりました。

12-3

マックはどんどん評判になりました。彼(マック)はイタリア、イギリス、ドイツそしてスペインに行きました。彼は世界中を旅してまわりました。

めぐみは世界中からたくさんの手紙をもらいました。世界中の人々がかれら自身とマックとの写真を彼女に送ってくれました。彼女(めぐみ)は彼(マック)がまだ旅をしているのが分かりました。

その手紙の多くはめぐみにとって励みになるものでした。彼女に会いに日本に来た人さえもいました。それは彼女の経験のいちばんの驚きの部分でした。

彼女のお父さんの夢は実現しました。そしてめぐみの夢もまた実現しました。

2015年04月28日

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