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センター試験

センター試験

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─── センター試験の廃止を (その6) ───

短距離走者かマラソンランナーか

じっくりものを考えるタイプにはセンター試験のゴールは遠い            
   

●198点と130点

 塾生のなかにA君とB君という2人の受験生がいる。A君は高校には進学しなかった。したがって学歴は中卒である。大学入学資格検定をパスして大学受験に挑んでいる。入塾前に受けたセンター試験で英語は49点。満点が200点だからほぼ25%の正答率である。

 センター試験が4択問題であることを考えれば、25%の正答率は、確率どおりのパーセンテージだ。問題文を読まないでデタラメに解答しても得点できる数字である。しかし入塾してから1年後に受けたセンター試験で、A君は発音問題を1問ミスしただけで198点。失点が2点だけという驚異的なスコアーだった。一方のB君は東大志望。センター試験は130点台だった。B君の本来の実力からすれば耳を疑うほど低い点数だ。

 かつうら塾では、A君は初級クラス(高1レベル)に、B君は上級クラス(高3レベル)に在籍していた。A君の学習は基本文法の理解と基礎英文読解が中心。かたやB君の方は、語い力、文法力、読解力のどれをとっても受験生のトップレベルだ。ふだんの授業で両者を見ていればその実力の差はあきらかである。

 しかし、センター試験のスコアーにはその実力の差が反映されないばかりか、A君とB君の点数は逆転すらしている。英語力を測る正確な指標だと思われている試験で、なぜこんなことが起こるのか。

●共通一次は必ず失敗する

 『親子関係は親分と子分だ』(KKベストセラーズ)のなかで、著者の小室直樹氏は共通一次試験を痛烈に批判している。センター試験の前身である共通一次試験が始まったのが1979年。同書はその5年後の1984年に出版された本だ。共通一次試験が発足した当時の生々しい話が載っている。以下はその箇所を要略したものである。

 小室直樹氏は、昭和7年生まれ。京大理学部数学科卒業後、阪大経済学研究科、東大法学部政治学研究科、MIT、ミシガン大、ハーバード大等、さまざまな国のさまざまな大学を放浪、自称、ルンペン学者。

 記述試験では得点できるのに、センター試験では思うように得点できないジレンマに陥っている受験生は、以下を読めば納得がいくだろう。

●「ともかくやってみよう」で始めたいい加減さ

 1978年に、共通一次が強行されそうになったとき、世間にはこれに猛然と反対した意見があった。しかし、永井文相や文教族は、これらに少しも耳をかそうとしなかった。「共通一次に君らのいう欠点があることはよく知っている。でも、ともかくやってみようではないか、批判はそのあとからでもよいではないか」と。 

 いまの時点からふりかえってみると、これは暴言としかいいようのないことばであるが、当時は、だれもそうとは思わなかった。

●共通一次試験はだれもが認める大失敗

 1981年2月23日、文部大臣として共通一次試験を実施した永井道夫は、参院予算委で、「私が実施した共通一次試験は成功したとはいえない」と告白。さらに、「試験を実施する大学入試センターは正常に機能していない」とまでいった。

 担当大臣の永井元文相を含め、与野党も日教組もマスコミも、共通一次試験が大失敗であったことを認めている。では、これはいったいだれの責任か。日本の教育改革がナンセンスであることのひとつは、失敗してもだれも責任をとらないことである。

●共通一次試験の致命的欠陥とは

 共通一次について、それがマークシート方式でおこなわれることから、いかにもニュートラルな試験であるという印象を受ける。しかし実際は大違いである。受験生のタイプや思考スタイルなど学力とは関係のない要素によって、得点に優劣が大きく出る。あの生徒は共通-次で苦しむタイプ、この生徒は共通一次向きであると一目で判別できる。

 一番のポイントは、問題文を読み、配列された選択肢から正解を選び出すスピードである。

 予備校では、共通一次の直前1ヶ月間は、生徒に大量の共通一次予想問題を与える。そこでは問題を処理するスピードと、選択肢を直感的に判別する訓練をする。共通一次で、現役生と浪人生の平均点の差が1,000点満中100点近くもあるのは、この直前練習ができる時間的余裕が浪人生にあるからだ。

 解答用紙のマ-クポジションを1ヶ所間違えると、あとの解答も将棋倒し的にすべてズレてしまう。このような注意力のない受験生は共通-次向きではない。2日間にわたる試験で350近い設問をこなす忍耐力のない受験生もダメである。学力以外に、スピード、直感力、注意力、忍耐力が大きくモノをいうのが共通一次試験なのである。

 受験生に精神的重圧はつきものだが、こと共通-次試験の生み出したそれは並大底のものではない。しかし、共通一次の真の恐ろしさは、さらに深いところにある。

●条件反射的人間をつくる

 第一の問題点は、生徒の人格を喪失させ、ネズミ人間に変身させてしまうことにある。共通一次試験はネズミの条件づけと同じことである。考えたら絶対に合格しない。ネズミに、青いランプがついたら、あの穴に入れ。しっぽに電流を流したら、飛び上がれ。これと同じ訓練をするわけだ。

 共通一次試験はコンピューターで処理される。コンピューターでは、独創的な答えとか個性的な解答は採点できない。そのため、条件反射的な答え方と、機械的な思考力と丸暗記しか要求されない。

●大量の丸暗記

 第二の問題点は、ひじょうに簡単で基礎的な設問が大量に出題されることである。ということは、たくさんの問題を解き、しかも高い点数をとるには、即決即断、条件反射的にならざるをえない。要求されるのは、高い能力ではなく、ミスをしない技術だけということになる。

 昔の大学では、たった3問の出題のうち、1問しか解けなくても90点もらったという類の話がざらにあった。解き方が優れているとか、才能の片鱗がみえるとかの理由で、わずか1問の解答でも合格できたのだ。

 私の京大数学科時代の先輩の話。数学の先生が3問中、最後の問いで次のような問題を出した。「今朝から考えているのだが、この定理は正しいのか、まちがっているのかわからない。もしも、正しければ証明せよ。誤りであれば、反例をあげよ」で、3問中、前の2問を解いた人は80点をもらった。ところが、前の2問は白紙で、最後の1問だけを解いた人が99点だったそうである。その先生からみて肝心なことは、答えそのものではなく、頭の働かせ方であったのだ。

 これこそ真の学問における試験というべきではないか。丸暗記すれば解ける問題を、いくら解いたところで、頭は開発されない。そして、受験勉強の欠点はまさにここにある。「共通一次」は、日本教育における諸悪の根源たる入試の弊害を極限にまでおしすすめ、致命的様相にまでいたらしめたものである。

2013年05月25日


    ─── センター試験の廃止を (その5) ───

            同じ2点を得点しても
   

●大学生にはなれたが

 地元の国立大学に通う学生から、翻訳の依頼を受けたことがある。英語の授業についていけないので、大学のテキストを訳して欲しいという電話だった。テキストは「英国の生活文化」を紹介した高校レベルの読み物である。辞書を引いても読めないという。高校時代の定期試験では、英文が読めなくても、訳文を丸暗記していればパスできたそうだ。

 センター試験は合計点で判断するから、かりに英語が0点でも他教科の成績が良ければ理屈の上では合格できることになる。国公立大、私立大を問わず、大学で英語の授業についていけないという学生は相当数にのぼるようである。

 こんな学生もいた。東京の有名私立大学に通っている。大学で英語の単位が取れないという。以下に挙げる英文の違いを説明してもらうと、予想通りとはいえ、答えられなかった。自分はAO入試で合格したから、受験の修羅場は経験していないという。問うたのは決して難しい英文ではない。かんたんな5文型の話である。

 ①I found an easy book.
 ②I found the book easily.
 ③I found the book easy.

 基本5文型が見えないのだから、英文など読めるはずがない。大学の授業には当然ついていけない。大学には入ったものの、まともに英語の単位を取るのは絶望的だろう。

 なぜこんな大学生が生まれているのだろう?

●2点の意味は大違い

 マークシート方式の試験では記号さえ合えば正解である。そこではどんな方法で正解しようと解答のプロセスは問われない。エンピツをころがして正解しても2点。たまたま単語の意味を知っているだけでも2点。正確な文法知識をもとにていねいに読み解いてもわずか2点である。

 マークシート方式の試験では、受験生はどのような考え方で解答しているか、次の2題を対比させてみよう。(2012年・センター試験)

 (  )に入れるのにもっとも適当なものを、下の①~④のうちから選べ。(配点2点)

  問1 Some companies have (    ) a new policy of using English as the official in-house language. 

  ①absorbed   ②accompanied    ③adopted    ④appointed

  問4 We had the microwave, the toaster and the heater all (  ) at the same time, and the circuit breaker switched off. 
 

    ①in        ②on           ③up         ④with    

●たまたま単語を知っていれば得点できる

  問1 Some companies have (   )a new policy of using English as the official in-house language.

  ①absorbed   ②accompanied    ③adopted    ④appointed

 問1の英文で、of以下の前置詞句はpolicyを飾る修飾語だからof以下が読めなくても解答には差し支えない。したがって問題文は次のように簡略化して考えることができる。

  Some companies have (   )a new policy.

 ①を吸収する   ②に同伴する    ③を採用する   ④を任命する

 単語の意味さえ知っていれば、答えが③であることは明らかである。問題文は「一部の会社は社内公用語として英語を使用するという新たな方針を採用した」という意味だが、問われているのは一つの単語の意味にすぎない。

 なぜ大学受験生にこんな単語クイズを課すのだろうか。単純な記憶力の問題だから、たまたま知っていればラッキーだし知らなければアウトだ。無数にある英単語のなかからadoptを問うだけで受験生の語彙力など計れるはずはない。そもそも単語の意味など、知らなければ辞書を引けばすむことであり、大学で学ぶ知性とは何の関係もない。

 price / prize / praise やliterary / literate / literal は、スペルと発音が似ているため意味や音を取り違えやすい。しかし問1で選択肢に並んでいる単語は、たんにaで始まるという共通項だけで、意味の類似性も音の類似性もない。おそらく無定見に抽出した単語だろう。そこからは問題作りのセンスも工夫も感じられない。せめて選択肢にadoptと発音が類似するadaptが入っていれば、それなりの意図は感じられるのだが。

 以下の私大の問題は、センター試験と同じ出題形式だが、この私大の問題の方が選択肢に工夫の跡がうかがえる。

 空所を補うのに最も適切な語を選べ。(2012年・学習院大学法学部)

 Most people no longer (  ) of smoking in public places in the United States of America.

 ①acknowledge(認める) ②admire(称賛する)  ③admit(認める)  ④approve(認める)

 英文の意味は「たいていの人々は米国の公共の場での喫煙をもはや (  ) ない」で、選択肢にはaで始まり意味が類似する単語が並んでいる。ほぼ同じ意味なので意味だけでは絞りきれない。決め手は (  ) の後に続くofである。ofをとるのは④のapproveだけである。

●文法をベースにていねいに読まなければ得点できない

 問4 We had the microwave, the toaster and the heater all (  ) at the same time,
   and the circuit breaker switched off.

   ①in    ②on    ③up    ④with

 問1が単純な語彙力を問う問題なのに対し、問4は、おもむきがまったく異なる。ここで問われているのは記憶力でも語彙力でもない。問われているのは文法力であり、しっかりとした読解力である。ではどのような文法知識をベースに、どのような読み方をしなければならないのだろうか。

 まず最初のandに着目すると、「電子レンジ」「トースター」and「ヒーター」と3つの名詞がandでつながっているのがわかる。この時点で、これらの名詞はhadの目的語であり、前半部分の構造はSVO(X)らしいと推測できる。

 つぎに着目するのは二番目のandである。andの後には、the circuit breakerとswitched offが並んでいる。両者の関係は、「ブレーカーのスイッチが切られる」という受動関係である。この受動関係は、I'll have the car repaired.「クルマを修理してもう」において、the carとrepairedの関係が受動関係にあるのと同じである。

 ここでは、have+O+Cにおいて、OとCの関係は「主語」と「述語」の関係にある点を理解しておかなければならない。

  have+O+原形動詞  She had her brother help her.   弟に助けてもらった
  have+O+過去分詞  I had my photo taken.       写真をとってもらった
  have+O+副詞    I had some friends in for tea.   友だちをお茶に招いた

 問題文の前半は、We had the microwave, the toaster and the heater all (  ) at the same time.である。「私たちは電子レンジとトースターとヒーターを全部を同時に (  ) した」という意味だと考えられる。後半に「ブレーカーのスイッチが切れた」と続くから、結局、前半部分は「全部の電源を同時に入れた」の意味だとわかる。正解は②のonである。

 We had the microwave, the toaster and the heater all on at the same time, and the circuit breaker switched off. 「電子レンジとトースターとヒーターを全部を同時に使ったら、ブレーカーのスイッチが切れた」

●点数だけで判断すると錯覚する

 ここまで見てきたように、問1で2点を得点するのと、問4で2点を得点するのとでは、同じ2点でも月とスッポンほどの差がある。実際にはエンピツをころがしてたまたま正解する受験生もいるから、2点が持つ意味はさまざまである。

 こうした各問の点数を積み上げていったものが合計点である。解答に到るプロセスの方に光を当てれば、合計点が120点と160点で、160点の方が優秀だとは無条件にはいえなくなる。記号で表される答えが重要なのではない。重視すべきは、結果ではなく思考のプロセスの方である。

 授業で日常的に受験生に接していると、個々の受験生の実力はほぼ正確に把握できるが、センター試験の結果は実力どおりにはなっていない。 毎年そうとうのズレを感じている。

 センター試験が英語力の実態を反映しているとはとても思えないのだが、こうした点数はひとり歩きを始める。英・数・国・理・社の全科目を合計して、その点数をもとに志望校選びが始まる。数値化されると比べやすいから、その数字に合理性があるかのように錯覚する。

 「身長」と「体重」を合計しようなどとはだれも思わないが、「英語」と「数学」の点数なら平気で合計する。そしてその数値に無邪気に一喜一憂する。かりに「身長」+「体重」が230なら、次の三つの体型は、合計が同じ数だから同じ体型を示すことになってしまう。

 身長160センチ+体重70キロ=230……肥満でも230
 身長170センチ+体重60キロ=230……標準でも230
 身長180センチ+体重50キロ=230……やせ型でも230

●センター試験の存在理由

 「大学入試センター」は、その目的をつぎのように表明している。「大学入試センター試験は、大学入学志願者の高等学校段階における基礎的な学習の達成度を判定することを主目的として……」。しかし、高校の学習習熟度は、高校を卒業する時点で、高校側が判定する領域である。

 また「大学入試センター」はこうも言っている。「入試に必要とされる選抜機能、診断機能はどのように働いているのか、またどのようであるべきなのかを……」。

 しかし、現状は「5文型」すら理解していない大学生がいたり、授業についていけない大学生がいたりする。これらは、センター試験が「診断機能」も「選抜機能」も有していないことの証であり、マークシート方式のセンター試験が、「機能不全」に陥っていることを物語っている。

2013年01月03日


    ─── センター試験の廃止を (その4) ───

          マークシートでは統合能力が育たない

  
    

 
●文章は手探りで書いている

 文章を書くのは困難な作業だ。まず頭の中にどこからともなく何かぼんやりとした考えが浮かんでくる。たとえば、それが「本」についてだとする。次にその本を「どうするのか」をハッキリさせなければならない。「買うのか」「借りるのか」「もらうのか」……。結局、言いたいのは「彼にこの本をあげる」ということだとする。

 こんどは「彼にこの本をあげる」をどう表現するかを考える。「この本をあげるのは私だ」「彼にあげるのはこの本だ」「この本は彼にあげるのだ」と、さまざまな言い回しが頭に浮かぶ。言い回し方は無数にある。無数にある表現形式の中からどれか一つを選ばなければならない。選ぶときの基準は漠然としていて、ああでもない、こうでもないと、フィーリングのようなものを頼りに選んでいる。

 なぜこんな話をしているかというと、文章を書くのとセンター試験の問題を解くのとでは、頭の使い方がまったく違うことを言いたいからだ。無から有を生み出すのが文章を書くことだとすれば、センター試験は最初からお膳立てが整っている。読むべき英文も、設問も、あらかじめ設定されている。解答も4つの中から選べばいいから至れり尽くせりである。

●センター試験は1秒で解答できる

 「センター試験」と「記述問題」とでは、頭の使い方がどう違うのかを具体的に説明しておこう。以下は(  )内に入れるのに最も適当なものを、①~④のうちから選べという問題だ。

 You hear it (  ) that fathers want their sons to be what they feel they cannot themselves be.

 ①say     ②to say     ③saying     ④said

 どんな問題集ででも見かけるありふれた問題だ。試験なれした受験生なら1秒もかからずに即答するだろう。なぜなら問われているのは、「hearの動詞型」と「itが何を指すか」の2点だけだからだ。itがthat節を受けていることがわかると、that節の中身とは無関係に問題文はいっきに簡略化される。I heard the song sung. が理解できる受験生であれば、You hear it said.を見抜くのに時間はかからない。

 一方、You hear it said that fathers want their sons to be what they feel they cannot themselves be.を「訳せ」という記述問題の場合はどうだろう。ポイントとなるのは、構文の把握と日本語を書く能力の2点である。使われている英単語はすべて基本語だが、that節以下の構造は意外と複雑だ。

 ①Fathers want their sons to be X. → SVOC
 ②They feel they cannot themselves be X. → SV+[SVC]

 文構造の理解には上記の2文がwhatで連結されていることの理解が必須だが、ここでは構文の解説よりも、訳出するときの日本語の訳文に焦点を当ててみよう。

●ねじれた文

 学生が書く文でよく目にするのが「ねじれた文」である。「ねじれた文」とは、主語と述語が一致していない文のことである。

 「遅刻したのは、電車の中で旧友とばったり出会い話がはずみ楽しかった」では、「遅刻したのは~楽しかった」と、主語と述語がねじれている。「遅刻したのは~話に夢中になり駅を乗り過ごしたからだ」と書いてはじめて意味が通じる。

 例題の文は、that節のなかに、[fathers want~]の節があり、さらにその中に[they feel~]の節があり、さらにまたその中に[they cannot~]の節がある。つまり3重の埋め込み構造になっている。短い文であれば「ねじれ」は起こりにくいが、このように複雑な文になると、文を構造化して見る目がないと、主語と述語がねじれる可能性が高い。

 また訳文の書き出しも、英文がYou hear~で始まるからといって、「あなたは~」で始めてしまうと、「~を聞いたことがあるだろう」で終わることになる。これでは主語と述語が遠く離れて読みにくい文になってしまう。ここでは主語と述語を離さないで書く工夫が要る。

 さらに単語レベルでは、文中にfathersとsonsの2つの複数名詞があるから、theyを単に「彼ら」と訳しただけでは、theyが「父」を指すのか「息子」を指すのかがハッキリしない。

●文章が書けない学生が増えている

 このように「訳す」という作業には思いのほかさまざまな注意力が求められる。文章を書くことと比べると、センター試験は主体的にかかわる部分は限りなくゼロに近い。解答するまでの思考の手順が、「問題文」→「設問」→「選択肢」の順で決まっている。手順が決まっているということはマニュアルどおり考えていけばいいということである。

 『センター試験の英語』という本があるが、英語は英語であり、センター試験だからといって特殊な英語があるわけではない。選択肢に迷ったら③を選べとアドバイスする攻略本まである。①が正解では答えがすぐに見つかってしまう、④が正解では端っこ過ぎるというのがその理屈だが、①が10回以上続くことだって珍しいことではない。こんな薄っぺらな受験技術を身につけたところで世の中で生きていくうえでは何の力にもならない。

 精神科医の岡田尊司氏は、『なぜ日本の若者は自立できないのか』のなかで、「文章を書くこと」についてこんな指摘をしている。

日本の若者はなぜ自立できないのか


岡田尊司(おかだ たかし) 1960年、香川県生まれ。精神科医。医学博士。東京大学哲学科中退。京都大学医学部卒。京都大学大学院高次脳科学講座神経生物学教室、脳病態生理学講座精神医学教室にて研究に従事。現在、京都医療少年院勤務。山形大学客員教授。パーソナリティ障害、発達障害治療の最前線に立ち、臨床医として若者の心の問題と向き合っている。

 「どうしても文章が書けない学生がいる。一流大学の大学院生で研究テーマは花形分野の最先端のもの。彼は研究者としてやっていくことはおろか、一般企業に就職することすら無理だと感じている。高い知能を有しながら、文章にまとめるとなると何をどう書いていいのかわからないのだ。このように文章が書けない学生やサラリーマンがいま非常に増えている。これは情報を組織化し系統化していく統合能力の問題である。文章を書くことは、かつてはもっとも重視され鍛えられていたが、マークシート方式の試験が主流になってからはおろそかにされている」

●正解の選択肢などない

 センター試験は他人が作った問題である。他人が作った問題に沿って、他人の思考の思惑どおりに考えていけばいいのだから、創造性や独創性や個性など生まれるはずがない。文章を書くのに型やパターンはない。それでも、つかみどころのない考えを言葉として形あるものにしていくのが書くことである。言葉を知っているからといってただちに文章が書けるわけではない。

 文章を書くことと同じように、人生も思い通りにならないことやトラブルの連続である。それらに対処するのに、正解の選択肢などないし、答えも定かではない。そもそも答えなどないかも知れない。

 岡田氏はこう指摘する。

 「統合能力が弱いと、文章が書けないだけでなく、ささいなことで切れたり短絡的な行動に走ったりする。またトラブルに遭遇するとそれを克服したり解決策が見いだせず、ウツになる人も多い。統合能力を高めるには、『子どものころの遊び』や『文章を書くこと』が有効である。ボール遊びや鬼ごっこといった子どものころの遊びは、知覚能力や運動能力といった違ったモードで情報処理を同時に行うからである。予測できない要素が入れば入るほど、それは統合機能のよい訓練になる。文章を書くことは非常にすぐれた統合能力の訓練なのだ」

 幼児期に遊んでいないと統合能力が弱い。「帰宅部」で勉強に専念していても統合能力は育たない。記号当てのクイズが上手くなっても、生きていく上での自立にはつながらない。

 センター試験の受験者数は50数万人にのぼり、18歳人口の半数近くが受験している。こんな試験のために、たくましく生きていく力が若者から奪われているとしたら大問題である。

2012年11月07日



    ─── センター試験の廃止を (その3) ───



       センター試験はどんな人間を生み出しているのか


  
●It's too easy to answer. 

 
 以下は、「最も適当なものを①~④のうちから選べ」というセンター試験の問題だが、奇妙な問題だ。

 
You should not let your personal emotions ( 15 ) in the way of making that important decision. (センター試験 2012年・第2問・問8)

①stand    ②standing    ③to be stood    ④to stand

 どこが奇妙かというと、解答に到るプロセスがあまりにも単純なのだ。ここで問われているのは、「let+目的語+原型動詞」という「letの動詞型」に過ぎない。問題文は、(  )の後も仰々しく単語が続いているが、簡略化すれば、次の問いと同じである。

You should not let him (  ) there. (彼をそこに立たせてはならない)

①stand    ②standing    ③to be stood    ④to stand

 かりにも大学進学を目指す受験生なら、間違えようのない問題である。ひょっとしたら中学生でも正解するかもしれない。そんなレベルの問題だ。

●I don't know what it means. 

 しかし、奇妙だというのは、実はこのことではない。

 センター試験を受けた塾生に、問題文を訳してもらうと、訳せないのである。全員が例外なく正答の①standを選んでいながら、英文の意味はわからないという。結局、この問題は英文の内容が理解できなくても正答できるというヘンな問題なのだ。

 問題文は「その重要な決定を下す際に私情をはさんではいけない」という意味だが、受験生は、そんな英文の内容などお構いなしに正答してしまう。受験生の心理はこんなところだろう。

 <後半には長文が待ち構えている。文法問題はできるだけ短時間ですませよう。きちんと読めなくても答えが合いさえすればいい。余計なセンテンスにのんびり付き合っている暇などないのだ>

 では、出題者はなぜこんなヘンな問題を出したのか? 

 出題者が「let+目的語+原型動詞」をわざわざ大学受験生に問うとは考えられない。出題の意図は、「stand in the way 」が理解できるかどうかの方にあったはずだ。問題の力点は、前半の「let」ではなく、後半の「stand in the way」なのだ。

 しかし出題者の意図とは関係なく、受験生は前半を読んだだけで正答してしまう。出題者は知恵をしぼって問題を作成したつもりでも、後半の部分などだれも読まないのだ。もっともらしい体を装った問題だがクオリティは低い。

 ここでstand in the wayについても触れておこう。

 
 問題( 15 )の答えがstandだからといって、辞書でstandを調べてもムダだ。ここで引くべきは単語は、standではなくwayの方だ。能力がなくては辞書は引けない。大修館のジーニアス英和大辞典にはこんな用例が載っている。

 A fallen tree was in the way of the bus.
 倒れた木がバスの進行の邪魔をしていた。

 wasをstandに代えて訳せば、「倒れた木がバスの行く手をふさぐ」の意味になる。したがって、Your personal emotions stand in the way of making that important decision. は「重要な決定を下す際に私情が立ちはだかる」の意味だ。

●The end justifies the means. 

 しかし、こんな英文の意味などわからなくても、どうということはない。センター試験は記号が合いさえすればいいのである。英語力などなくても、どんな考え方をしようと、どんな手段をとろうと得点できればいいのである。

 同じことが市内の高校の校内模試についても言える。試験問題は、まず英文の下線部訳を求める「記述問題」から始まり、後半部分に、「発音・アクセント問題」が続く。

 下線部訳は、英文の訳を記述するのに1題につき5分~10分はかかる。配点は3点。一方、「発音・アクセント問題」は、知っているか知らないかの話だ。1、2秒で解答できる。配点は1点で、3問正解すれば3点。数分かけて3点得点するのと、数秒で3点得点するのと、どちらが効率がいいかは明らかだ。

●Their top priority is to get the highest score. 

 ここで単に配点の不均衡をいっているのではない。指摘したいのは、こうした試験が点数至上主義を生み、普段の学習のあり方にも影響を及ぼしている点である。

 受験生は単語さえできれば得点できると思い込み、「英語学習=単語の暗記」という薄っぺらな考え方をする学生が後をたたない。音として声に出すことこそ語学学習のベースなのだが、音読の上手いヘタなどは数値化されないから見向きもしない。受験に関係のない分野や学科は勉強しない。授業中でも、受験に関係ないとわかれば教師の話など聞こうとしない。

 入試で問われない事柄への関心は薄くなるばかりだ。「どんな本を読み何に感動したか」「どんな人間関係につまずきどんな成長をしたか」「部活でどんな汗や涙を流したか」「何にチャレンジし何に情熱を傾けたか」「仲間とどんなことで大笑いしたか」

 そんなことに時間を割くより受験テクニックを磨いた方がいい。点数に現れる結果こそ絶対であり、大学こそがすべてだと考えるようになる。スポーツ紙にこんな見出しの記事が載っていた。

 「俺は東大生だぞ」「おまえらとは格が違う」 成人式迎える東大生、駅員に暴行して逮捕
                            (スポニチ 2012年1月10日)

 どこの大学に入ったかは、元をただせば点数の寄せ集めにすぎない。「俺は東大生だぞ」と「俺は幼稚園で逆上がりができるようになったんだぞ」はどこが違うというのか。

 入試の現場では、こんなことも進行しているという。京都大学で30年近く入試答案を採点してきた教授が指摘している。

 「新しい傾向が、ここ7、8年前から始まった。すべての問題に解答しているが、どの問題も途中で解答が放棄されているのである。数学の採点では、考え方が途中まで合っていれば部分点を与えることが多い。それを見越して、部分点だけを集めて5割、6割の点数をとろうという作戦である。これだと、問題を完全に理解する必要はない。パターンを覚えて、似た問題の解答をまねて書いていけばよいのである。受験技術としては完璧だろう。しかし、大学に合格してもそれ以上の勉強を続けていくことは難しい。」(以上要略)『学力があぶない』大野晋・上野健爾著 岩波新書より

●Get money by any means available. 

 先に、「センター試験は、英語力などなくても、どんな考え方をしようと、どんな手段をとろうと得点できればいい」と書いた。これをそっくりそのまま社会人に当てはめると、次のように言い換えることができる。「仕事への興味や情熱などなくても、どんな考え方をしようが、どんな手段をとろうが、稼げたらいい」

 得点しやすい手段で得点して何が悪い → 稼ぎやすい手段で稼いで何が悪い
 手っ取り早く得点して何が悪い    → 手っ取り早く稼いで何が悪い
 楽に得点して何が悪い        → 楽に稼いで何が悪い
 たくさん得点して何が悪い      → たくさん稼いで何が悪い
 得点できないのを見下して何が悪い  → 稼げないのを見下して何が悪い

 このことに関して痛快な一文が目にとまったので挙げておこう。「エンピツをころがして何が悪い」は「クリックひとつで稼いで何が悪い」につながっている。

 私は先日テレビを観ていて、目の前が真っ暗になるような思いをした。その番組は、小さな事務所で1日中モニターを見ながらデイトレードをして、1年で2,000万円を稼ぎ出したという20代のある若者を紹介していた。よくありがちな話題だが、私はその若者の態度に違和感を覚えた。自分が稼ぎ出した金額を誇らしげに示し、稼げない男は無価値であるかのような倣慢な態度をとったからである。
 私はその青年にいいたい。デイトレードで2,000万円稼いだことが、まさか偉いとでも思っているのか。ただモニターの画面を見ながら株や為替の売買を繰り返す行為は、利益を上げたとて、何も生み出してはいない。社会に何の貢献もせず、ほとんど博打のような手段で金を稼いでおいて、世間を見下すとはいったいなにごとか。
 元来の日本的価値観によれば、そのような手段で稼ぎ出した金銭は、所詮「あぶく銭」と呼ばれる。ましてそれを本業としていることなど、恥ずかしくて堂々と世間にいえたことではないはずだ。
 たとえ収入が少なくとも、毎日懸命に働いている人の生き方は美しい。作物を育て、製品を作り、サービスを提供するなど、すべて人々の生活を幸せにすることにつながる価値を創造するものがほんとうの仕事なのであって、デイトレードの類は到底「仕事」などと呼ベるものではない。

         『日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか』 竹田恒泰著 PHP新書より

 センター試験はめぐり巡って、品性のない拝金主義を生み、安易なマネーゲームに走る若者を生んでいる可能性がある。

●Nothing but useless 

 今年のセンター試験は、新しい方法を導入したことでトラブルが続出した。過去最大の混乱が起きたという。高校の現場からは、「会場の試験官はしっかりしろ」とか「受験生の人生がかかっているのに」といった声は聞こえてきても、廃止を訴える声は聞こえてこない。なぜだろう?

 「共通一次試験」が始まったのは1979年。「センター試験」へと名称を変えたのが1990年。発足から30数年が経つ。「共通一次」が始まったころ18歳だった学生は、教師になっていれば、現在50代のベテラン教師になっている。そしてそれよりも後の世代の教師はすべてマークシート世代ということになる。

 人間は保守的な生き物である。自分が受けてきた教育こそが善だと考えても不思議はない。「マークシート」が導入される前の「記述」の時代を知らなければ比較のしようがない。そこからは「センター試験」を疑う視点など生まれてこないのかも知れない。塗り絵もどきのマークシートで育った世代が、次の世代を再生産している。

 毎年1月になれば、マスコミは「センター試験」を冬の風物詩のように報道するが、脳天気な話である。大学入試で全国規模の統一試験がなぜ必要なのか。個性化が叫ばれるなか、個々の大学が独自の試験を行えば十分である。「センター試験」は無用の長物と揶揄されても仕方がないであろう。

2012年2月22日


    ─── センター試験の廃止を (その2) ───


       あっ、まちがえた ─── 2011年センター試験 (英語)


 ●中学生レベル

 「あっ、まちがえた」、これは、センター試験のあと、私が決まってつぶやく言葉だ。受験英語の専門家なら、センター試験で間違うはずがないと思われている。しかし、実際はそうではない。1、2問、ときには3、4問ミスを犯すのが恒例になっている。自慢にも手柄にもならないが、今年は久しぶりにノー・ミスだった。センター試験は良問ばかりではない。ヘンな問題もたくさんある。

  次の2011年の問題を、文法と出題形式の両面から詳細に分析してみる。

 第2問─問2 下の語句を並べかえて空所を補い、文を完成させよ。

 "What's up with Jack? He seems so happy."
 "He applied for a new job, and (    )(  23  )
 (    )(    )(  24  )(    ) an interview."

 ①called   ②company   ③for   ④him   ⑤in    ⑥the 

 まず、選択肢にある単語のなかで、冠詞のtheと結びつくのは名詞のcompanyしかない。さらに、英文はすべてS + Vで成り立つことから、出だしは、the + company + calledで決まりである。したがって、( 23 )にはcompanyが入る。ここまでは中学生レベルである。

 ●called for か、called in か

 
 残りの単語は、for、him、inの3語だけだから、楽勝に思える。

 forとinを、an interviewの前に続けて置くと、名詞の前にforとinが並ぶことになり、かなり不自然に見える。そこで受験生は、forとinについて、どちらかがcalledの後で、どちらかがan interviewの前だろうと考える。
 
 通常、callがらみでは、以下のようにcall forを問うケースが圧倒的に多い。call inを問うケースはきわめてまれだ。

  • He called for help. 彼は助けを求めて叫んだ。
  • Did someone call for a doctor?  どなたか医者をお呼びになりましたか?
  • Mastering a foreign language calls for patience.  外国語の習得は忍耐が必要だ。
  • He's not well. You'd better call in a doctor. 彼は具合がよくない。医者を呼びなさい。

 熟語の意味がわからないとき、受験生は勘を頼りに、こうつぶやく。

   <call inなど参考書で見たことがない。call inを出題してくるよりも
    call forを出題してくる方が可能性が高いだろう。call forに違いない>

 だが、結論をさきに言えば、ここで選ぶべきはcall forではなくcall inの方だ。call inとcall forで、その並べ方は次の2通りに絞ることができる。

 The company called for him in an interview. その会社はインタビューで彼を必要とした。
 The company called in him for an interview. その会社はインタビューで彼を呼んだ。

 両者の意味の違いは微妙である。熟語がわかる受験生でも迷うだろう。どちらがベターかは、文脈から判断するしかない。前者を選ぶか後者を選ぶかは、国語力の差だ。

 ●called in him か、called him in か

 しかし、called inを選んだからといって、これで正解に行き着いたわけではない。動詞と副詞の位置関係についてはこんなルールがある。

 【目的語が名詞のときは、その名詞は動詞と副詞の間でも、副詞の後でもよい】

  [正] He put his coat on hurriedly. 
  [正] He put on his coat hurriedly. 
     彼は急いでコートを着た。
 【目的語が代名詞のときは、その代名詞を動詞と副詞の間にはさむ】

  [誤] He took his coat and put on it hurriedly. 
  [正] He took his coat and put it on hurriedly.
     彼はコートを手に取り、急いでそれを着た。

 したがって、問題文の場合、目的語はhimという代名詞なので、語順はcalled in himではなく、called him inとなる。

  [誤] The company called in him for an interview.
  [正] The company called him in for an interview.

 ●call in とは

 さらにcall inについて補足しておくと、英英辞典(Oxford Advanced Learner's Dictionary)ではこんな表記になっている:

    call somebody in
       or
    call in somebody

「人を招き入れる」という意味だが、このcall inの意味を理解するには、callは自動詞ではなく他
動詞であり、inは前置詞ではなく副詞であるという知識が必要である。

 逆に言うと、そういう知識があれば、call inを熟語として知らなくても意味は読み取れる。なぜ
なら、「VOCの構造から、『OとC』は『主語と述語』の関係にあり、O(him)がC(in)の状態になる
ように、V(call)という動作が作用する」と、論理的に考えられるからだ。

 要するに、第五文型(SVOC)の基本構造が把握できていれば、call somebody inが「人を招き入れる」という意味だということは容易に理解できる。

 ●出題者の頭のなかは

 ここで、出題形式に光を当て、そこから出題者の頭のなかを覗いてみる。

 ( 23 )でcompanyを入れるのは、中1の文法知識でしかない。一方、( 24 )にinを入れるには、高度な文法知識を要する。( 23 )と( 24 )では、その難易度には雲泥の差がある。

 ( 23 )を間違える受験生がいるとは考えにくい。かりにも大学受験生である。中1の文法につまずくわけがない。「両方が正解の場合のみ得点」という条件はあるが、大学入試レベルで( 23 )を問う必然性はどこにもない。

 では、なぜこれほど難易度に差がある問題をセットにしたのか。それはこんな理由からだろう。並べ替え問題は以下のように、問1~問3まで、3題ともすべて2番目と5番目の単語が問われている。

 問1 (    ) (  21  ) (    ) (    ) (  22  ) (    )
 問2 (    ) (  23  ) (    ) (    ) (  24  ) (    )
 問3 (    ) (  25  ) (    ) (    ) (  26  ) (    )

 問1~問3で、問2だけ問う箇所を変えると見た目のバランスが崩れる。そして、そのことを妙に勘ぐる受験生がいるかも知れない。出題者は「内容よりも形」「質よりも数合わせ」を考えたに違いない。受験生の英語力を計るよりも、出題形式の体裁を重んじたのだ。

 ●受験生はこんなことも考える

 call forかcall inかでさんざん迷うが、実は、設問形式からcall for もcall in も正解ではないことが見えてくる。

The23. companycalledfor24. himinan interview.
The23. companycalledin24. himforan interview.


 なぜなら、上記のようにcall forを選ぼうがcall inを選ぼうが、( 24 )の答えは、両方ともhimになる。「これでは、おかしい!」と、目先が利く受験生なら気づく。forかinかが問われなければならないのに、答えがhimではつじつまが合わないからだ。

 最初のthe company calledの3語の並びは決定だから、残りの単語は、for、him、inの3語だ。組み合わせのパターンは次の6通りだ。

  ①for + him + in  ③him + in + for  ⑤in + for + him
  ②for + in + him  ④him + for + in  ⑥in + him + for

 ここで、①と⑥は2番目にhimがくるので、上記の理由から「答えであるはずがない」と判断できる。

  ①for + him + in  ③him + in + for  ⑤in + for + him
  ②for + in + him  ④him + for + in  ⑥in + him + for

 残りは4パターンになる。そして、問われているのは2番目の単語だ。パターンを整理すれば、②③④⑤の4パターンのなかで、2番目にくる単語はinかforの2パターンしかない。したがって、( 24 )に入るのは、inかforのどちらかである。二つに一つだから、正解する確率は50%である。

 ●マークシート方式の宿命

 ( 24 )は、文法的に正攻法で考えると、かなり難易度は高い。今年のセンター試験・英語問題のなかでもいちばんの難問だと考えられる。それなら正答率がいちばん低かったのかというと、そうとは限らない。

 上記のように、受験生はありとあらゆる手がかりから解答する。そして本来の英語力とは無関係に、解答を割り出す。それは、マークシート方式の持つ宿命である。

 そこでは思考過程は問われない。どんな手順で考えようが、結果として記号が合いさえすれば、それでいいのである。一生懸命考えてマークを塗りつぶそうが、エンピツをころがして塗りつぶそうが、正解は正解なのだ。

 ここに取り上げた問題のように、文法的には難問であっても記号の配列に着目するだけで、50%の確率で正解できる。

 実際、そんな面倒なことを受験生はやっているのかといえば、答えはイエスである。文法などまったくわからない。知っている単語もほとんどない。かりにそんな状況でも、なりふり構わず得点しようとするのが受験生なのだ。

 ●「例の方法」

例の方法

 ○ 日本語として不自然な選択肢は不正解
 ○ 暗いイメージの選択肢ほどあやしい
 ○ 空欄と正解の配列順序は比例しない
 ○ 同じ選択肢が出続けるのは正解の証拠
 ○ 順序をもつ選択肢からは正解が見える
 ○ 出題者はうっかりホンネをもらす
 ○ 傍線部にもっとも近い選択肢は不正解


 「例の方法」は、'80年代に受験生のあいだで評判になった本だ。入試問題の多く(6、7割)が、選択肢からのアプローチだけで解けるという。私自身、何年か前にセンター試験の漢文問題を、「例の方法」のテクニックだけで全問正解したことがある。

 なぜ、そんなことが可能なのか? 出題者は、できるだけ「正解を隠したがっている」。その心理をウラ読みすれば、正解への有力な手がかりが得られる。そして、以下のように正解そのものを的中させることも可能だ。

 ■英語 下線部(3)の意味にもっとも近いものを、1~4の中から1つ選べ。

 1. one wants to share in a friend's joy
 2. one wants to share happiness with others
 3. one wants to consider himself happy
 4. one wants to express pleasure when happy

 【解説】「to share」で1・2が共通。「happy」「happiness」で、「2・3・4」が共通。「1・2」と「2・3・4」で共通するのは2。したがって2が正解。

 ■世界史 下線部⑤についてグプタ朝を建国したのは誰か。

 ア チャンドラグプタ
 イ チャンドラグプタ1世
 ウ サムドラグプタ
 エ チャンドラグプタ2世
 オ カドフィーセス1世

 【解説】この問題に世界史の知識はまったく不要。「チャンドラグプタ」で、「ア・イ・エ」が共通。「1世」「2世」の数詞で、「イ・エ・オ」が共通。そのうち「1世」で、「イ・オ」が共通。「ア・イ・エ」「イ・エ・オ」「イ・オ」で共通するのは「イ」。したがってイが正解。

 ●採点は一瞬

 マークシートの採点をテレビで見たことがある。答案の読み取り機は、意外と小さい。手提げ金庫ほどの大きさだ。答案シートを流し込むと、即座に採点され、吐き出される。そのスピードは、駅で自動改札口に差し込んだ切符が一瞬で飛び出てくるのと同じ速さだ。

 本番での緊張と知的格闘の結果が、あるいは、高校3年間の学習の到達度が、この一瞬で決まる。高校生活で、何に情熱を燃やしたかは問われない。どのように思考して解答したかも問われない。

 マークシートで大事なのは、塗りつぶしのミスを犯さないことである。その採点は、一瞬でそっけない。

2011年2月1日


     ─── センター試験の廃止を (その1) ───


新聞投稿 

  
 今年も大学入試センター試験が終わった。個性化が声高に求められている時代に、なぜ画一的な統一試験なのか。

 全国一斉に、五十数万人もの若者が同一時刻に、同一試験に臨むという極めて異様な風景だ。

 受験生を教えていて、個々の学生の実力は日常の授業で把握しているが、センター試験の結果とは必ずしも一致しない。

 マークシート方式は、コンピュータ処理をする採点者側のご都合主義でしかない。最高学府の志願者に、塗り絵もどきの択一試験ではあまりにも安易だ。

 国公立大学はそれぞれ二次試験を課すが、それなら、「我が大学はこれこれしかじかの学力を有する者を望む」と、最初から堂々と独自の入試で自己主張すれば済むことだ。

 「大学入試センター」では、センター試験の目的は、「高校の基礎的な学習の判定……」と謳っているが、そもそも、高校の基礎学力は卒業の時点で、高校側が判定すべき領域のはず。行政改革が叫ばれるなか、こうした国費のムダ遣いとなる制度の廃止を強く望む。 

                               
                        (2005年1月・朝日新聞声欄投稿・非掲載) 



国益を損なう  

 センター試験のためなどといって、平易な英文ばかりを読んでいて、一体いつになったら難解な英文が読めるようになるというのだろうか。大学で英文解釈や英文法の講義などないから、受験時代の精読の技術が、そのまま大学生や社会人の英文読解の技量ということになる。

 「読み書きはともかく、会話はちょっと……」は言葉のアヤでしかない。言い回しを変えたごまかしにすぎない。読み書きも英会話も両方ともできないのが現状である。

 英語で書かれた化学の文献を読み間違えたら、実験で事故を起こす。外国の企業との契約書の理解が、たぶんこんな意味だろうでは、損害をこうむる。外交文書を中途半端に読んでいては国益を損なう。

ビッグ・ビジネス    

 元々は国公立大学の一次試験だったセンター試験を、いまでは私立大学の8割が利用している。企業に置き換えれば、新入社員の採用試験を第三者に丸投げしているようなものだ。まっとうな経営者のやることではない。会社の理念に見合う社員は、自らの手でリクルートするのが経営者だ。

 センター試験の受験料は18,000円。50万人が受験すれば、18,000円×50万人で、90億円が動くビッグ・ビジネスである。リスニングで使用されるICプレーヤーの導入に際しては、大手電機メーカーが、熾烈なシェアー争いをしたという話もある。1台2,000円とすれば、50万台で10億円だ。

 センター試験の経費や人件費の内訳がどうなっているのかは知るよしもないが、こんな無用な試験に早く「事業仕分け」のメスが入ることを願っている。

点数とは…?      

 こんなことも付け加えておきたい。英語の配点で、発音問題は2点、長文問題の内容真偽は6点。会話重視を標榜するなら、発音は10点、内容真偽は1点という配点があってもおかしくない。配点など人によってどうにでも変わる恣意的なものなのだ。

 さらに、英語160点、数学140点、国語150点なら、三教科の合計は450点になる。しかし、こんな異質なものを足してどんな意味があるというのか。かりに鉛筆は3点、消しゴムは4点、定規は5点だとすると、合計は12点、平均点は4点。この4点はいったい何を指すのか。人間の能力を、数値化したり、その数字を加工したりすればするほど、ナマ身の実体とはかけ離れていく。

 テレビでこんな番組(探偵ナイト・スクープ)があった。三人が、水泳と暗算の二種目の合計タイムを競い合うというもの。一人は水泳の元日本記録保持者。もう一人は暗算の名人。さらにもう一人は水泳と暗算がそこそこの素人。水泳は一流だが暗算はダメと、水泳はダメだが暗算はプロと、水泳も暗算もそこそこという三人の競争だ。バカバカしくて大笑いした。

2010年5月31日改稿 

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