『700選』の「和文」は捨てよう

 

音読のすすめ (22)

●「和文」の音読はムダで害になる

『700選』を覚えるのに、「和文」と「英文」を交互に音読している塾生がいた。

交互の音読は効率が悪いだけでなく、英語をしゃべるうえでも障害になる。「和文」と「英文」の関係が固定化され、融通が利かなくなる。「和文」と「英文」は一対一に対応してないし、また対応するものでもない。翻訳はおおよその意味を伝えているにすぎない。

『700選』は、右ページに「和文」、左ページに「英文」という作りになっている。そのせいで、「和文」から「英文」へと交互に音読する人は意外に多いのかも知れない。しかし、「和文」の音読などしないほうがいい。日本語は母語なのだから、「和文」は、チラッと見たら理解できる。何度も見る必要はない。「和文」の表現形式をいくら覚えても英語は上達しない。必要なのは、「英文」のイン・プットであって、「和文」ではない。

『700選』の1番のセンテンスを例に、具体的に解説しておこう。

My house is only five minutes’ walk from the station. (1)
私の家は駅から歩いてわずか5分の所です。

実際の会話では、「家と駅の距離が徒歩5分」という地理的な「イメージ」が、相手に伝わればいいのであって、日本語の言い回しは以下のどれであってもいい。

・私の家は駅から徒歩5分のところです。
・私の家から駅には徒歩5分で行けます。
・私の家から駅まで歩いて5分です。

『700選』の「和文」を一字一句たがわず暗記する必然性はどこにもない。伝えたいのは「イメージ」であり、「和文」ではない。「家と駅との距離」を伝えたいのだから、「英文」も、以下のどれであってもかまわない。表現形式が異なっても、伝わる「イメージ」に変わりはない。

・My house is located within 5 minutes’ walk of the station.
・It takes me 5 minutes to walk to the station from my house.
・It takes 5 minutes from my house to the station on foot.

上記の3つの英文は、『700選』にある以下の「英文」を元にアレンジしたもの。

・The school is located within five minutes’ walk of the station. (289)
・Even if it takes me ten years, I am determined to accomplish the job.(504)
・How long does it take from here to Tokyo Station by car? (676)

「和文」はこうでなければならないというこだわりを捨てれば、もっとおおらかになれる。「和文」と「英文」の関係が自由でフレキシブルなものになり、表現の幅が拡がる。

話す場合は、伝えたい「イメージ」が湧き「英文」を組み立てる。聞く場合は、「英文」を聞いて「イメージ」を描く。いちいち日本語に変換してはいない。

話す場合:「イメージ」→  「日本語」  →「英文」
聞く場合:「英文」→  「日本語」  →「イメージ」

「日本語」を媒介させないで、「英語」は「英語」のまま理解する。

●「英文」だけを読み、訳さない

「英語」で「英語」を理解するというと、むずかしく聞こえるが、中学生でもやっている。

That’s a nice picture.
My father took it.
Where was it taken?
It was taken in Hokkaido. ― サンシャイン3(平成28年度版)PROGRAM 1-1

「まず英文を読む」「次に日本語に訳す」「やっと理解できる」。こんな手順で英文を読む中学生はいない。いちいち日本語に訳していると、全体の流れを見失う。のんびり読むから、時間のすき間に日本語が介入してくる。その結果、スラスラ読めなくなる。速く読むと日本語が介入してこない。英文を英文として理解できる。

古典的な暗記用例文集に、『和文英訳の修業』(佐々木高政著・文建書房)がある。初版が昭和27年だからかなり古い。ただ、古いのは「和文」の日本語訳の方であって、英文は古くない。

『修業』には500の基本例文が載っている。『700選』を覚えるのと、『修業』の500を覚えるのとでは、どちらが大変かと、ネット上でときどき話題になっている。

私自身は、『修業』の方がやさしいのではないかと感じている。『修業』がむずかしく感じられるのは、「英文」ではなく「和文」の表現形式にある。ためしに以下の「和文」を英作してみれば、そのむずかしさが実感できるだろう。

・あの連中には好きに思わせておけ。(42)
・過ぎたことは忘れ、先にあるものをつかむことに全力を傾けよ。(45)
・そうならそうとなぜ最初に言わなかったのだ。(53)
・「今日は何時にお帰りなりますの。いつもと同じ7時半ですか」(60)
・昨夜君が寝言をいっているのをきいたぞ。(188)
・あわてて結婚してあとでゆっくり臍(ほぞ)をかむ例は世間によくあります。(311)

以下の「英文」を見れば、「和文」から受ける印象とは裏腹に、こんな表現でいいのかと拍子抜けするだろう。

・Let them think what they like.(42)
・Forget what is behind you and do your best to win what is ahead.(45)
・Why didn’t you say so in the first place?(53)
・What time shall you be home today? Half past seven as usual?(60)
・I heard you talking in your sleep last night.(188)
・It often happens that one who marries in haste repents at leisure.(311)

『和文英訳の修業』を覚えるのが大変に思える原因は「和文」にある。「和文」を除けば、一気にやさしくなる。見た目の難易度のレベルが10なら、「和文」を見ずに「英文」だけを見れば、レベル3ぐらいに感じられるだろう。

伝えたいのは、「イメージ」であり、「メッセージ」であって、「表現形式」ではない。「和文」の言い回しは無視して、「英文」だけに専念すれば、ストレスなく覚えられる。

「和文」を捨てることで、「暗記」しなければならないという強迫観念からも自由になれる。「和文」から「英文」へという面倒な変換作業からも解放され、音読だけに集中できる。頭で覚え込むのではなく、自然と身体で覚えるようになる。

●身体で覚えるとは

歌謡ショーなどで、歌手が観客席の後方からステージに向かって歌いながら登場することがある。持ち歌を披露しながら、マイクを片手に観客と握手したり、目で挨拶したりする。歌詞とメロディを頭で無理やり「暗記」したのでは、あのような動作にはならない。

薄暗い通路を認識しながら、目や手で観客とコミュニケーションをとっている。歌うという行為は完全に自動化されている。意識は観客の方に向いているから、歌は無意識にアウト・プットされている。身体が歌を覚えているから、さまざまな動作を、同時進行で平行して行える。「暗唱」の理想的な姿だといえる。

プロの歌手だからできるのではない。だれだってやっている。自転車に乗ることを考えればいい。「バランスをとる」「ハンドルを握る」「ブレーキをかける」「ペダルを踏む」、これらはすべて自動化されている。自動化されているから、となりの友人と会話ができる。会話がはずめば、自転車に乗っていることすら忘れる。自転車の操作は無意識に行われる。何度もくり返し乗っているから意識せずに行える。自転車の乗り方は、頭が覚えているのではなく、身体が覚えている。

― ぴったり87センチだという。「一本足打法」の王貞治さんが、高く上げた右足を踏み出す。軸となる左足と、着地した右足の距離である。野球評論家の近藤唯之さんによれば、87センチは畳の幅だという。巨人軍の打撃コーチ、荒川博さんの自宅に敷かれていた畳である。千回振っても寸分違わぬスイングになるよう、畳の横幅を体に刻み込んだ。バットを振って、振って、振り抜く。”荒川道場”の異名はダテではない。王選手は道場通いを休まなかった。「これからうかがいます」。深酒でろれつが回らず、このひと言を電話で伝えるのに3分かっかたという伝説が残っている。―(読売新聞・編集手帳・2016.12.6)

「和文」があるから暗記したくなる。「和文」を捨てれば「英文」の音読に専念できる。暗記しようと考えなければ、「なかなか覚えられない」と嘆くこともない。余計なストレスを受けないから、快適に音読できる。心地よく音読を続けていれば必ず身体で覚えるときがくる。

『700選』を覚えたかったら、いますぐ「和文」を捨てよう。

Forget what is written in Japanese and do your best to win what is written in English.

2017年01月12日