音読のすすめ (2)
●たんなる試験対策ではない
中2のA君が塾にいる時間はわずか10分である。週に1度、音読した回数を報告してくれる。
中1ではほとんど音読をしていなかったA君に、教科書の音読をすすめた。中2の1学期の中間試験では、教科書の音読を40回、期末試験では80回くり返し、苦手だった英語で高得点を取るようになった。(『61点が92点に』参照)
そのA君が今回は197回も教科書を音読してきた。理由は、「國弘正雄氏は中学時代に教科書を500回から1,000回音読していたようだ」という話を再度したからだ。197回も音読するのは、目先の試験のためでないことは明らかである。中学の教科書なら、30回も音読すればだれでもソラで言えるようになる。テキストをマル暗記して試験を受けるわけだから、満点を取るのはむずかしいことではない。
●くり返すことの快感は、くり返した者だけが実感できる
たんなる試験対策なら30回も音読すれば十分である。しかし、その30回をはるかに超えて197回も音読するのはなぜだろう?
それは音読が快感だからだ。そしてその快感は、くり返し音読をした者だけが実感できる快感である。たとえていうなら、自転車が走り出したときの快感に似ている。こぎ始めの自転車のペダルは重い。重いからといって、こぎ始めなければ自転車は止まったままだ。最初は重くても、なんとかこぎ始めれば、こいでいるうちに軽くなる。軽くこぐだけでスイスイ進む。どんどん軽くなり、やがてペダルをこいでいることすら忘れてしまう。
音読を何度もくり返していると、教科書を見ていないのに、教科書の英文がスラスラ言えるようになってくる。「覚えようと努力しなくても、気がつくと覚えてしまっていた」という状態になる。意識的に覚えたものは、どうしても忘れるが、覚えようとしないで覚えたものは忘れない。弁証法的にいえば、「忘れないためには覚えるな」ということになる。小学校で覚えたかけ算の九九は、大人になっても忘れない。九九は頭が覚えているのではない。身体がリズムを覚えているのだ。
●220回読んでも
それでは197回読むと教科書の英文がかけ算の九九のような状態になるのかというと、そうではない。A君が音読した教科書のレッスンを、私も220回音読してみた。わかったことは、220回くらいの音読では九九の状態にはならないということだ。それでは何回読めば九九のレベルになるのだろう? 私の経験では700回くらいではないかと思う。
十数年前、『ういろう売りの台詞』を数年かけて3,000回読んだことがある。音読をくり返しているうちに、気がつくと覚えてしまっていた。そのときの回数が700回くらいだった。『台詞』は日本語だが、いたるところで意味不明なフレーズが登場する。頭で覚えようとしてもムリである。原稿を見ないで『台詞』が言えるようになったのは、身体がリズムを覚えたからだ。700回という回数は、國弘氏の500回から1,000回という音読回数ともほぼ一致する。
『台詞』の音読をすすめてくれたアナウンサー女史は、毎日1回『台詞』を音読し、4,000回読んだといっていた。それにならって、私も1日1回、『台詞』を読むことにしている。いや、読んでいるわけではない。『台詞』は九九のように頭に入っているので、1日1回ソラんじているだけだ。
●教科書の分析、その1
ここで中学の教科書をいくつかの角度から分析してみよう。中学の教科書は、はたして何百回も音読する価値があるのだろうか。
「よいコミュニケーションはあいさつから始まる」。これを塾の高3クラスで英作してもらったが、ろくな答案がなかった。
・「よいコミュニケーション」で、good communicationにaを付けるのか、付けないのか?
・「あいさつ」のgreetingは、単数か、複数か?
・「~から始まる」は、start fromか、start withか?
いざ英作しようとするとさまざまな言い回しが思い浮かび、疑問が頭をよぎる。
中学の教科書『サンシャイン2』(開隆堂)のProgram6-2にはこんなセンテンスが載っている。
Greetings open the door to good communication.
open the door toを『英辞郎』で調べると67件もの用例が見つかる。open the door toは、そうとう使い勝手のいい表現であることがわかる。
・open the door to a new career 新しいキャリアへの道を開く
・open the door to a possibility 実現の可能性が広がる
・open the door to an affluent lifestyle 裕福なライフスタイルをもたらす
・open the door to EU membership EU加盟への道を開く
・open the door to greater freedom of expression より大きな表現の自由への扉を開く
・open the door to learning 学習への道を開く
・open the door to universal mysteries 宇宙の神秘への扉を開ける
・open the door to Western ideas 西洋思想に門戸を開く
●教科書の分析、その2
大学入試問題で次のような下線部訳の問題がある。
The way you look to others is apt to be nearer the truth than the way you may look to yourself.
【誤訳】「あなたがあなた自身をどう見るかよりも、あなたが他人をどう見るかのほうが真実に近いものになりやすい」
上記のような誤訳をする受験生は少なくない。look toは、「~の方を向く」「~に目をやる」の意味はあっても、look toをlook atの意味で訳すのは間違いである。
『サンシャイン2』のProgram4-1にはこんなセンテンスが載っている。look insideとlook toを同時に提示することで、lookには、「見る」の意味もあれば「見える」の意味もあることを教えている。
It looks like a pillow to me.
The neighbor looked inside the invention.
上記入試問題の【正訳】「あなたがあなた自身にどう見えているかよりも、あなたが他人にはどう見えてるかのほうが真実に近いものになりやすい」
●教科書の分析、その3
『サンシャイン2』のProgram5-3には、こんな表現が並んでいる。
If you come to Yokosuka in the fall, you must go to Kannonzaki.
If you come to Sapporo in the winter, you should go and see the Snow Festival.
If you come to Saga, go to Yoshinogari Historical Park.
観光名所を挙げ、そこへの訪問をすすめる文である。3つの表現を並記することで、「must」「should」「命令形」の3つが、同一の「勧誘表現」であることを明示している点に感心した。
・You must go to~.
・You should go and see~.
・Go to~.
●教科書の分析、その4
この『サンシャイン』の著作者は、国公私立大学の教授が22名、准教授が5名、公立中学の教諭が2名である。
著者のなかで、ひときわ目を引いたのは鳥飼玖美子・立教大学教授の存在だ。同時通訳者でもある同氏は、文科省が提唱する「コミュニケーション重視(文法軽視)の英語教育」を批判している急先鋒の一人である。執筆者の一人に同氏が名を連ねているのは心強いかぎりである。以下、同氏の著書からその主張の一端を挙げておこう。
・「文法を知らなくてもいいということではない。文法を意識しなくても口から出てくるように学習する必要がある」「英語が使える日本人の育成には、中学英語教育の改革こそ、もっとも有効な戦略である」「中学校英語こそ、すぐれた教師が必要とされる」『危うし! 小学校英語』より
・「英語教育がコミュニケーション重視に軌道修正したのは1989年。実用英語にシフトしてから20年以上経つが、近頃の若者はみごとに英語を話すようになった、とは聞かない」『英語公用語は何が問題か』より
・「日本の高校英語教育の成果を測るのになぜTOEFL?」「自民党や政府の提言では、TOEFLなどの外部試験のスコアでコミュニケーション能力が分かると単純に考えているようだ」「文法の知識がなければまともなコミュニケーションは無理。一貫性をもって話したり書いたりする能力がないと支離滅裂な印象を与える」『英語教育、迫り来る破綻』より
―『サンシャイン』は、各学年とも1冊310円である。これは、書店に並ぶ数ある英語教材のなかで群を抜いて安い。「値段の安さ」と「質の高さ」を考えると、教科書にまさる英語教材はない。
2013年10月01日