量質転化の法則―40年の塾歴を振り返って
『東京外語会会報』に寄稿 巻頭エッセー40年の塾歴ー1 巻頭エッセー40年の塾歴ー2
●ワーク・ライフ・バランス
「でもしか」から始めた塾だが、気がつくと40年が経っている。自宅の14畳の部屋から、これまで東京外国語大学に11名、東京大学に30名、国公立大学医学部に37名等へと塾生は進学していった。しかし、進学塾を掲げたことはない。進学指導もしたことはない。英語を教えてきただけである。15年前にホームページを作ったが、看板も広告も出してはいない。それでも、いつの間にか地元で最も古い塾の一つとなっている。
職業選択には2つの道がある。安定しているが充実感の乏しい道と、確実性はないが大きなやりがいが感じられる道と。私は後者を選び、結果として満足している。それ以上に、教えることそのものに深い喜びを感じている。天職とは、どこかに「あるもの」を見つけるのではなく、いま自分がやっていることを理想のものにしていくことである。ワーク・ライフ・バランスが叫ばれて久しいが、私は40年前からずっと、1日1コマ、午後8時から10時までの2時間だけの授業を続けている。来年度からは、金土日の3日が勤労日である。
塾のビジネスモデルはシンプルだ。始めるのも閉じるのも容易だが、続けるのは難しい。時代の移り変わりとともに、受験生の数も質も変わっていく。教える側も常に学び、変わり続けなければならない。その中で語学学習の本質は変わらない。その変わることのない本質と思えるものを紹介したい。
●「ういろう売り」の台詞の衝撃
「ういろう売り」は歌舞伎の演目で、台詞の分量は原稿用紙4、5枚分に及ぶ。内容は意味不明な早口言葉が延々と続き、俳優やアナウンサーの滑舌訓練にも利用されている。この台詞の音読を、面白半分で日課にしていた時期がある。
ある日、センセーショナルな体験をした。目が追う言葉と、口から出てくる言葉がずれていたのだ。気がつけば、読んでいる原稿よりもずっと先の箇所をしゃべっていたのだ。まさかと思い、原稿を伏せてみても、台詞は口からスラスラ出てきたのである。
覚えようとせずに覚えてしまったことに気づいた瞬間だった。これこそ語学学習の本質だと思った。言葉の習得は才能ではなく、継続できるかどうか、意思の問題なのである。
このことを体得した意義は大きい。「英文がなかなか覚えられない」と嘆く塾生がいたら、くり返せば必ず覚えられる、と実体験から励ますことができる。ただし、その「くり返し」の回数は十数回でも数十回でもなく、数百回である。これは、台詞が自然と口から出てくるようになるまでにおよそ700回のくり返しを要した体験から来ている。
●量によって質が転化する
「量質転化」とは、量を積み重ねていくと質的な変化が起こるというもの。質が変化するまで徹底的に量をこなすのである。この「量質転化」を、そもそもヘーゲルはどの著書でどのように言っているかを調べてみたことがある。『小論理学』(岩波文庫上巻・ヘーゲル著・松村一人訳)のP325-P327にこうある。
「小麦を一粒ずつ積み上げていくと小麦の山ができる。馬のしっぽの毛を一本ずつ抜いていくと禿げたしっぽになる。水を熱し続けると水蒸気に変わり、冷やし続けると氷になる。ロバの荷を1オンスずつ増やしていくと、ロバは担いきれない重荷のために倒れてしまう。こうした例え話を空論的な無駄話と言う人があれば、それは大きな間違いである。なぜなら、それを知ることが実践において非常に重要な意義を持つからである」
私は英語学習はスプーンでバスタブに水を溜めるような行為だと考えている。スプーン一杯の水はわずかであり、バスタブの容量からすれば、感覚的にはゼロに等しい。そうであっても、水を入れ続けなければ満杯になることはない。だが、いつ満杯になるかは誰にもわからない。しぶとく諦めずに水を入れ続けなければならない。いずれ満杯になるのだが、たいていの人は水が溢れ出す前のどこかでの地点で投げ出してしまう。
●英会話はプラクティスの問題
Repetition is the mother of skill.という言葉がある。英会話もスキルである以上、上達のカギは練習にある。日本は英語が話せなくても何不自由なく暮らせる恵まれた国である。だが、裏を返せば、日常的に英語を話す環境を意図的に作らなければ、その習得は難しいということでもある。
『レアジョブ』のオンライン英会話レッスンを受け始めて8年目になる。毎日25分、ニュース記事を題材に英語で会話することを続けてきた。コロナに感染して14日間休んだことはあるが、補助チケットを使って欠席分をカバーしたため、実質的には無欠席を続けている。継続の秘訣は、「例外を作らない」ことに尽きる。
ニュース記事の精読やシャドーイング、予想されるディスカッションの準備に取り組み、レッスン時間を含めると毎日2時間を英会話の練習に費やしている。どんな分野でも1万時間の練習でプロの域に達すると言われている。このペースを続ければ、あと6年ほどで英会話もネイティブ並みになるはずだ。
●悪手を打ち続ける文科省
『英文標準問題精講』(原仙作著・旺文社)という大学受験用の参考書がある。世界の文豪や思想家の英文が220編収録されている。読解力を鍛えるには十分な内容である。1933年の刊行以来、累計発行部数は1,000万部に達し、「原の英標」の名で一世を風靡した名著である。今も書店の受験コーナーでは平積みになっている。
塾ではこの「英標」をテキストにしている。塾生は、「英標」の難解な文章を正確に読みこなすのに悪戦苦闘している。私は、その英文を隅々まで熟知している。特に前半の100編はほぼ暗唱できるほどだ。「英標」の暗記は、私自身の英会話の内容に厚みを加えてくれている。
「読む」「書く」「聞く」「話す」の4技能のうち、「読む」ことこそが英語習得のベースにある。そうであるにもかかわらず、文科省は「英会話重視」「文法軽視」の悪手を打ち続ける。高校生の「読解力」の低下は目をおおいたくなるほどである。
今や、この名著を読み通せる人は、高校教師でさえも絶滅危惧種のような存在になっている。中学・高校・大学と10年もの間、英語を学んでいるにもかかわらず、原書をまともに読めないとは、どのような英語教育なのか。スピーキングに偏重した文科省の愚策によって、我々は教養を身につける技能すら奪われてしまった可能性がある。
「英文を正確に読みたい」という人は多い。文法書を読むだけでは、英文は読めるようにはならない。文法書と英文を結びつける橋渡しが要る。現在、通信教育も行っている。2時間の授業を録音した音声ファイルを、通塾できない県外の受講生に配信している。英語教員や一般社会人がこの通信講座で学んでいる。
●「英語難民」の救済
我が身を振り返ると、さまざまな場面で、さまざまな人から受けてきた、さまざまな恩義が思い出される。同時に、数えきれないほど多くの人々にかけてきた迷惑や、不義理、不誠実もまた、記憶に蘇ってくる。
大学時代はボート部で汗を流した。郷里にUターンした後も、ほぼ毎日ジムに通っている。幸いなことに、気力と体力はまだ健在である。英語習得に苦しむ「英語難民」を一人でも多く救済することが、私の英語教師としてのミッションである。
2025年6月7日