聞こえなくても聞こえる(シャドーイング)
●どうしても聞き取れない
私はリスニングが苦手である。知らない単語や初めて聞く地名や人名は聞き取れない。知っている単語でも、結合したり、消えたり、違う音に変化するから聞き取れない。
英文法に習熟しているつもりでも、複雑な文になるとリスニングでは、お手上げである。経済記事などで大きな数字が出てくると、日本語とは単位や位取りが違うからパニックになる。
いちど聞き逃すと、それで終わりである。気づいた瞬間にはもう消えてしまっている。音は、基本的には空気の振動である。リスニングの克服は、その空気の振動をどうにかしようという戦いなのだ。
●シャドーイングに挑戦
「こんなものが聞き取れるのだろうか」「自分には才能がないのかも」「聴覚器官に欠陥があるのかも」と正直なところそんな思いが頭をよぎる。しかし、そんなことを自問しても何の解決にもならない。そんなネガティブな疑問が浮かんだら即座に打ち消すようにしている。
リスニングの練習にはシャドーイグが有効だと言われている。シャドーイングは、相手がしゃべっていることを聞きながら、そのまま口に出すことを指す。シャドーイングは今まで何度か挑戦してきたが、非常に集中力を要し、脳が疲れる。結局、長続きせずに、「これだという効果」を感じたことはない。
しかし、今回は意を決して徹底的にシャドーイングに取り組むことにした。そんなとき、先人が残してくれた言葉が気持ちを奮い立たせてくれる。
When you guys are resting, I’m practicing. When you guys are sleeping, I’m practicing. And when you guys are practicing, of course, I’m also practicing.(Floyd Mayweather)
「お前らが休んでいるとき、俺は練習している。お前らが寝ているとき、俺は練習している。お前らが練習しているときは、もちろん俺も練習している」(フロイド・メイウエザー:50戦50勝で5階級を制覇したプロボクサー)
「努力は裏切らないは嘘。何度でも裏切られる。だが努力以外に術はない」(全米チアダンス選手権大会で優勝した福井商業高校・顧問の言葉)
Excepting fools, men did not differ much in intellect, only in zeal and hard work.(Charles Darwin)
「愚か者を除けば、人間は知性においてさほどの違いはない、ただ熱意と努力において違うだけなのだ」(チャールズ・ダーウィン)
●くり返せばどんなこともできるようになる
シャドーイングの教材はTEDのスピーチ『成功のカギは、やり抜く力』(アンジェラ・ダックワース)を選んだ。その主張に完全に納得できたからだ。また、時間が短く取り組みやすい点も選んだ理由だ。スピーチの長さは6分12秒。語数は約880語。英語字幕や日本語字幕をクリックひとつで画面に表示できる。
最初はテキストを見ながら始めたが、数十回のくり返しの後、テキストなしでのシャドーイングに移行した。約300回くらいで完璧にシャドーイングができるようになった。同時に、スピーチを空で言えるようにもなった。
約半年、毎日2、3回をくり返せば、誰でも300回はストレスなく達成できる。シャドーイングの攻略は、単に決意して練習するかしないかの問題である。
●シャドーイングで気づいたこと
「学校」の読み方は「ガク・コウ」ではない。「ガッコウ」である。文字と音がズレていることに気づかない限り、「ガッコウ」と聞いても、「学校」と結びつかない。つまり何を指しているのか分からない。
『やり抜く力』の中で、be going toは4回ほど出てくる。出てくるたびに口が追いつかない。シャドーイングを何度もくり返してはじめて、耳と口のズレに気づく。「文字」に縛られて発音していると必ず遅れがちになる。通常は「文字」よりも「音」の方が短いことが多い。
assimilation(音の同化)という専門用語を知っていることと、それを体感し真似ることができることは別ものである。
「I’m going to go there.」は「アイム・ゴーイング・トゥ・ゴー・ゼア」ではない。「アイム・ゴナゴー・ゼア」である。「going to go」は一体化して「ゴナゴー」になる。否定の「not going to go」は、4語が一体化して「ノッコナゴー」になる。スペリングからはとうてい想像できない音に変化する。
「and」は、「アン」や「ア」や「エ」であり、「that」は、「ザッ」や「ズ」や「無音」である。
●知識ではなく体得するもの
こういうことは知識として持っていても、それだけでは何の役にも立たない。実践をとおして体得すべきものである。自動化され、無意識化されるまで耳に落とし込むものである。その意味でシャドーイングは非常に有効である。
シャドーイングをくり返すことで、話者の息づかいまで聞き取れるようになる。間の取り方も一致する。息継ぎも重なる。ここでの息継ぎは半分ほど、ここでの息継ぎは目一杯、なぜならここから一気に次の長いセンテンスになだれ込むから、といったことまでが手に取りようにわかるようになる。
百人一首のカルタ取り全国大会では、歌が詠み上げられる前に手が動くという。完璧にシンクロすると、未来の音まで予測できるようになる。
●思い込んでいると、見えない、聞こえない
「無心」という言葉はありきたりだが、奥が深い。先入観にとらわれていると「未来の音を予測する」ことは難しい。自分で思い込んでしまうと、見えているものも見えなくなる。聞こえているものも聞こえなくなる。
認知科学で、『バスケット・ゴリラ』というYouTube動画がある。「白い服を着たプレーヤーはバスケットボールを何回パスするか」というナレーションが流れる。わずか1分21秒のビデオを観れば、脳が簡単にだまされることが分かる。
ボールの動きに囚われていると、見えているものも見えなくなる。文字に囚われていると、聞こえているものも聞こえなくなる。「こうであるべきだ」「こうであるに違いない」と思い込んでいると、「聞こえているはず」なのに実際には聞こえない。
シャドーイングで音源とピタリと重なると快感である。カラオケでうまく歌ったときと同じ快感である。五感で味わう快感は確かである。身体で感じる快感は揺るぎがない。心地よいからくり返す。ふたたび味わいたいからくり返す。くり返すからうまくなる。
年齢が進むにつれて、理性は磨かれていく。同時に、無邪気さは薄れていく。無心さでは幼児には敵わない。言葉の習得は、おそらく無心さゆえに幼児の方が速いのだろう。
2023年12月31日