悔しさ、恥ずかしさ

 

     悔しさ、恥ずかしさ

K・Y  東京大学理科一類 (2006年 高松高校卒)

なにを隠そう、高校時代、僕はわりに英語が得意な生徒でした。理系でありながら、浪人の一年間を含め、四年間を通して最もよい成績を残せた科目が英語でした。今回、合格体験記を書くにあたって、英語を学ぶうえで何が自分の原動力となっていたのか、ということを考えてみました。

結論を先に言えば、その原動力とは勝浦塾で味わった悔しさであり、恥ずかしさであったのだろうと思います。

後輩のみなさんもご存知の通り、塾では勝浦先生が塾生に容赦なく質問を投げかけます。一、二年のときには、この勝浦先生の質問に答えられず、ときには質問の意図さえ分からず、その度に非常に悔しい思いをしました。自分が分からなかった質問に他の塾生が軽々と答えたときには恥ずかしさが込み上げてきました。「えっ!こんなのも分からないんですか?」「こんな単語いまごろ調べてるんですか?」「全然わかってないじゃないですか」。勝浦先生にかけられた言葉は今でも覚えています。

授業で悔しい思いをしたときには、次の授業で恥をかきたくない一心で、念には念を入れて必死に予習をしました。「文の構造は正しいか。文脈、文法、語法に矛盾はないか。この単語の関連語が問われるのではないか」。チュンプルズはもちろん、辞書も駆使しながら、自分の納得のいくまで何度も何度も自問自答を続けました。

復習も徹底的にやりました。自分の間違った問題や、拙い英作文など見たくもありませんでしたが、これも、悔しさと恥をかきたくない一心でやりました。チュンプルズの該当ページを熟読したり、英作文がうまくいかなかったときには、基本例文の音読を繰り返したりしました。

こうして毎回の予習、復習をしっかりとやっていくなかで、次第に勝浦先生の質問に的確に答えられるようになり、英語が大の得意科目となり、さらには、難解な英文解釈に知的な快感をおぼえるようになりました。三年のときには、新しいテキストが配られると数日間で全部やってしまっていました。後輩のみなさんの中で自分は英語が苦手だと感じているあなた、勝浦先生の質問に答えられなくて悔しくないですか?恥ずかしさを感じたことはないですか?自分は答えられなくて当然だと思っていませんか?

今、東京大学で学んでいますが、大学の講義で学べることなんて本当に少ない、というのが実感です。大学という場は、与えられたものを暗記する場ではなく、教師や友人の存在を刺激にして自ら課題を設定し、自ら学んでいく場です。勝浦塾がそうであったように、教師や友人に自分の無知を思い知らされ、悔しさ、恥ずかしさを糧に学んでいく場なのです。

勝浦塾で学ぶ後輩のみなさんは、塾の規模、塾生の人数、授業の進め方のどれをとっても、塾生同士で大いに刺激しあうことができる、これ以上なく恵まれた環境で学ぶことができていることと思います。このすばらしい環境を最大限に活かさない手はないでしょう。まずは、毎回の予習、復習を徹底的にやることです。きっと英文解釈に知的な快感をおぼえるようになるはずです。みなさんが勝浦塾で切磋琢磨し、当面の目標であろう入試でその力を十分に発揮されることを願っています。