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共通テスト批判―2022年

by 勝浦 郡章

●AIのために塗りつぶす

下線部に相当する漢字を含むものを選べ、という国語の問題がある。

心がキズついた

①入会をカンショウする

②音楽をカンショウする

③カンショウ的な気分になる

④箱にカンショウ材を詰める

記述試験なら、「傷」と書けば、それで済む。それ以上に必要なものは何もない。

しかし、マークシート方式では、余計な作業が加わる。相当する番号を選んだあと、答案用紙の番号を丁寧に塗りつぶさなければならない。塗りつぶしがザツだと、コンピュータが誤認する。マークシート専用の鉛筆さえある。うっかり解答欄をまちがえると、記入ミスで誤答になる。塗りつぶす箇所が1カ所ズレただけで、ドミノ倒しとなって全滅する。

選択肢を設けて、他の漢字の知識も問うというのなら、いっそのこと、「勧奨」「鑑賞」「感傷」「緩衝」と、それぞれ手書きで書かせればそれで片づく話だ。一方で、漢字など知らなくても、当てずっぽうで正解した受験生もごまんといるはず。

マークシート方式で、都合がいいのはAIであって、受験生ではない。受験生はAIのために余分な作業を強いられ、神経をすり減らし、AIによって振り回される。

●練習に明け暮れる

マークシート方式では、こういう煩わしい作業に習熟しなければ、高得点は望めない。

そのため、高校では早々に共通テストの準備に入る。通常の授業はおざなりになり、共通テストの練習に励む。ひたすら大量の問題をすばやく処理する技術を磨く。思考力などそっちのけで、直感的に解答する訓練に明け暮れる。「なぜ」、と立ち止まって思考をめぐらす姿はそこにはない。

本来なら2月まで続くはずの正常なカリキュラムは、秋頃から試験の模擬演習に充てられる。教師は、授業の初めに共通テストの予想問題を配り、授業の終わりに解答を配る。生徒はラットのごとく問題を処理し、教師はそれをただ傍観する。

家庭でも、塾でも、予備校でも、同様の対策がくり返されるから、数十万人分の若者のエネルギーが共通テストのために浪費される。その浪費される時間とエネルギーの総量は計り知れない。

●知能テストもどき

英語リスニング問題B

ピザが入った箱の絵が4つある。それぞれの絵は、残っているピザの量を示している。①3/4のピザ、②1/2のピザ、③1/4のピザ、④ピザは残っていない

流れてくる音声は、「キャシーが2つ食べ、ジョンはそれ以外すべてを食べた。だから、何も残っていない」

この音声を2度聞いて④を選ばせる問題。

流れてくる音声が、英文(Kathy ate two pieces, and Jon ate everything else. So, nothing’s left.)であることを除けば、幼児の知能テストと変わらない。

この種の問題が7問つづく。大学で学ぶ知性とは何の関係もない。

マスコミは、共通テストの到来を冬の風物詩のように報じ、受験生の父兄や教師はむじゃきにエールを送る。

しかし、ほんの少し正気をとりもどせば、「50万人もの若者が」「日本中で」「同日同時刻に」「いっせいに」、こんな知能テストまがいの問題に挑み、マークシートの塗りつぶしに専念することの異様さに気づくだろう。

●洗脳教育

リスニング問題・第5問は、日本語で、次の指示が流れてくる。

―「第5問は問 27 から問 33 の7問です。最初に講義を聞き、問 27 から問 32 に答えなさい。次に続きを聞き、問 33 に答えなさい。状況、ワークシート、問い及び図表を、今、読みなさい。では、始めます」―

この分かりにくい指示の意味は、「本文」の音声を聞く前に、何が問われるかや資料を知っておけ、ということ。

こんなふうに例えたらどうか。

―今から、ある肖像画を見せます。「肖像画の手は、右が上か、左が上か」「めがね橋はどこにあるか」、後で問うから、それに注意して絵を見なさい。では、始めます。―

そして、見せられた絵は、ダ・ヴィンチのモナリザだとする。当然、意識は、手の位置を確認しようとするし、めがね橋を探そうとする。なぞの微笑みに思いを巡らすことはない。

モナリザの鑑賞は、手の位置を確認することでも、めがね橋を探すことでもない。虚心に絵を味わうことである。「これを見ろ」「あれを探せ」は、誘導であり、洗脳であり、鑑賞ではなく干渉である。

●全問まちがえる

この設問について、私自身の体験をありのままに書いておく。

指示の通りに、「問い」の文や、その選択肢に目を通し、「図表」を眺めているうちに、音声が流れ始める。1分では時間が足りず、「問い」の意図や、「図表」の意味は、まだ飲み込めていない。そのため、音声に集中できず、さっぱり要領を得なかった。結果は、7問とも間違えた。

私は、自分のリスニング能力が人より劣っていると思ったことはない。5年前にオンライン英会話を始め、以来、毎日欠かさずニュース記事を読み、音声ファイルを聞き、そして、その記事についてネイティブとディスカッションしている。その回数は1千数百回に及ぶ。しかし、この種のリスニング問題は、お手上げだった。いったい、どういう能力を測ろうというのか。

皮肉を言えば、指示も設問も、日本語はいっさい使わず、すべて英語で通してはどうか。そのほうが、日本語と英語が混在せず、脳が混乱しなくてすむ。

現に、文科省の指導要領では、中学校・高等学校ともに、「英語の授業は英語で行うことを基本とする」とある。

それが理想の英語教育というなら、高校の教科書も、解説も、定期試験も、入試も、中途半端に日本語など交えずに、オール・イングリッシュに徹すべきだろう。

●ネズミと人間

―ネズミに神経衰弱を起こさせる実験がある。ネズミは、右に跳ぶと、鼻をぶつける。左に跳ぶと、扉が開き食物が見つかる。ネズミがこのことを学習してから、今度は、反対の扉に食物を置く。食物にありつくには、左ではなく、右に跳ばなければならない。

状況が変わり、どっちに跳んだらいいかがわからなくなると、ネズミは跳ぶのをやめる。飢えても、跳ぼうとしなくなる。強制的に跳ばせようとすると、発作に陥り、やたら駈け廻り、爪を傷つけたり、椅子やテーブルに体をぶつける。やがて痙攣し、ついに昏睡状態に入る。食べることもしなくなり、何にも関心を示さなくなる。何をされようと一切気にしなくなる。

人間もネズミと同じプロセスをたどる。

①ある一定の問題に一定の選択を習慣的にするように訓練される。
②選択が、予期した結果をもたらさないと衝撃を受ける。
③不安や挫折を重ねるうち、結果の如何にかかわらず、いつまでも同じ行動を続ける。
④行動を強制し続けると、パニックに陥り、自傷行為に走る。
⑤やがて不機嫌になり、まったく行動しなくなる。

―『思考と行動における言語』(S.I.ハヤカワ著)

●ハインリッヒの法則

ハインリッヒの法則は、労働災害において、1つの重大事故の背後には29の軽微な事故があり、その背後には300の異常があるとする法則。1:29:300の法則とも呼ばれる。

共通テスト初日に起きた「受験生刺傷事件」は、1人の高校生の身勝手な凶行とするのは甘い。彼の周りには何千何万もの病める受験生が存在すると考えられる。「女子大生カンニング事件」もしかり。

共通テストでは、2日間にわたって短時間で大量の問題を解かされる。直感力、瞬発力、迅速な処理能力が求められる。問題にじっくり取り組む余裕はない。考え抜いて解答する満足感や達成感もない。受験生は、ネズミの実験のように、条件反射のストレスにさらされる。

事件として表面には現れなくても、ストレスに対処できず、自暴自棄になったり、自傷行為に走ったり、うつになっている受験生は相当数いると想像できる。

●英語教育への提言

・共通テストの廃止。全国規模の統一試験は、かの独裁国家のマスゲームと変わらない。教育が目指す個性尊重とはほど遠い。

・「大学入試センター」の解体。同組織は、1979年の発足以来、大学入試改革に悪手を打ち続けている。ろくに検証もせず、「共通一次試験」「センター試験」「共通テスト」と、看板のすげ替えに終始している。発足当初に掲げていた受験競争の緩和という目標とは逆に、受験生の負担は増し、競争は激化し、受験生を苦しめ続けている。同組織は無用の長物であり、その存在は百害あって一利なし。

・「わが大学は、これこれしかじかの学力を有するものを求む」と、各大学は個々の入試問題で堂々と自己主張すればいい。選抜入試は、この試験1回で十分である。共通テストとは違い、各大学が行う試験は、良問が多い。少なくとも、受験生をおとしめてやろう、困らせてやろうという悪意は感じない。それはそうである。同じ大学の同胞となるかもしれない受験生をいじめようとする大学などあるはずがない。

・全国の中高大の英語教師は立ち上がり、英文法の復権を声を大にして叫ばねばならない。文法を軽視し、コミュニケーション英語にシフトした結果、英語力の低下は目も当てられない状態になっている。現状がこのまま続けば、わが国の英語教育は奈落の底に突き進む。文法学習こそ英語学習の肝である。

・英語教師は自信を持て。英語がしゃべれないことで卑屈になることはない。日本人教師の強みは文法が教えられるということ。「は」と「が」の違いを、普通の日本人が説明できないのと同様に、ネイティブに文法は教えられない。

・国際化だから英語という短絡思考を止める。英語など知らなくても、日常生活は何も困らない。日本は日本語だけで暮らせる幸せな国だということを喜ばなくてはならない。インドやフィリピンで小学校から英語で授業を行っているのは、他に術がないからであって、真似をしたり、うらやむことではない。日本には世界に冠たる翻訳文化がある。世界中の文学作品が翻訳され、ノーベル賞級の研究であっても、日本語だけで行えるとさえ言われている。

・国際化とは、英語がしゃべれることではない。日本を知ることである。国際人とは、日本の国を知り、歴史を知り、文化を知り、社会を知り、誇りを持って日本人としての自分を外に向かって発信することができる人をいう。新渡戸稲造の『武士道』は必読書。明治時代に書かれた同書は、当時の日本人の読者を魅了しただけでなく、世界的ベストセラーとなった。原文は英語で、サブタイトルは「The Soul of Japan―日本の魂」とある。ただし、英文は相当むずかしい。

・小学校で行われている英語の授業を中止する。小学校からの英語教育は、将来の英語学習に深刻な悪影響を及ぼす。ずぶの素人から英語を教わる小学生は災難である。「英会話ごっこ」をやめ、すべての学習の根幹をなす国語教育に力を注ぐべきである。

・最後に、英語を学ぶということは、言葉を学ぶということである。国際化が声高に叫ばれる前から、英語は学科として存在していた。英語という外国語と格闘することで、母語としての日本語が磨かれる。それは言葉を通して思考が磨かれることであり、豊かな言語生活が約束されることを意味する。

2022年3月6日

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