「なんとんなく」にさよなら

 

 

     「なんとなく」にさよなら

M・T 香川大学医学部 (2018年・ラサール高校卒)

私のかつうら塾に来るまでの生き方を一言で表すと、「なんとなく」だ。親や塾に言われてなんとなく中学受験、高校受験をして進学した。高校でもなんとなく先生の指導に従った。定期考査の総合得点では校内平均点は超えていたから、それでいいと思っていた。大学受験もなんとなく上手くいく気がしていた。

しかし現実は厳しかった。「なんとなく」で頭に詰め込んだものは入試では全く役に立たなかった。「なんとなく」のやり方、生き方しか知らない私は、不合格通知を受け取ったとき、これからどうしていいか分からなくなった。この頃から家族とも上手くいかなくなった。

その後、わけもわからぬまま親に言われたとおりに予備校に入った。なんとか医学部選抜クラスに入ることができた。

しかし、自分の実力と全く合わない英語や数学の授業に次第に耐えられなくなった私は、いよいよ頭がおかしくなり入院した。10月のことだった。退院した後、焦った。このままではどこにも受からない。特に英語の成績を上げることが最大の課題だった。

その時ふと頭に浮かんだのが、夏から通っていた数学塾で偶然目にしたチュンプルズだった。とにかくかつうら塾に行ってみるしかない、そう思って勝浦先生の元へ向かい、話をした。

先生は私に簡単なペーパーテストをその場で解かせた。実に単純なものである。しかし、私は全く分からなかった。そして私が入ったのは高1クラスだった。非常に悔しかったし、自分が情けなかった。しかし、それで目が覚めた。自分の実力と初めて冷静に向き合うことができた。

次の日、初めてかつうら塾の授業に出席した時は衝撃を受けた。難解な英文でも、チュンプルズに書いてある通りに構造分析をするだけで容易に理解できた。それは私が今までやってきた「なんとなく」とは対極にある捉え方だった。その威力を思い知って、私は「なんとなく」を捨て、論理的な思考を心がけるようになった。

変化はすぐに現れた。英語の成績が格段に向上したのは勿論だが、数学の成績も大きく上がった。12月末には偏差値が、英語は15、数学は10上がっていた。論理の力の偉大さを思い知った。

学力以外の面でも変化はあった。精神的不調はたちまち無くなったし、家族関係も実に良好になった。論理を身につければ自分の発言や行動に自信を持つことができ、一貫性を持たせられる。学力以外の変化はその結果として生まれたものだろう。

つまり「なんとなく」の考えを捨てるだけで非常に大きな変化が起こったわけだが、これは何故だろうか。なぜ「なんとなく」では上手くいかないのだろうか。その答えを私は勝浦先生の話の中に見つけることができた。

それは「なんとなく」生きている人は他者の価値基準に従うしかないからだ。人間はひとり一人が個別の存在である。それなら、各々が自分独自の価値観を見つけるべきである。しかし「なんとなく」生きている人は、それを見つけようとせずに、他人が与えてくれる価値観の物差しにすがるようになる。それはあくまで他人の価値観だ。本来の自分が持っている価値観と必ずズレが生じる。そのズレが我々の中にどこかスッキリしない感覚を生み出し、その人の言動から一貫性を奪う。一方で論理的な思考を身につけている人は、自分の頭で考え、身につけた独自の価値観を持っている。そしてその価値観に基づいて行動する。だから彼らは他人の言葉でうろたえるようなことはない。彼らの言動は一本筋の通ったものになる。

この問題は現代社会の大きな課題の1つだと思う。情報化社会が進んでいく中で、私たちは今までとは比較にならないほど多様な価値観にさらされるようになった。ネット上では価値観のせめぎ合いが頻繁に起こる。「なんとなく」生きている人達は、まず間違いなく混乱し、翻弄されるだろう。そして読書離れが進むにつれて、論理的な思考をすることをやめ、「なんとなく」生きる人の数は着実に増える。

そういう意味で、かつうら塾が私に与えてくれたものは英語力だけではない。現代社会で生き抜く術も授けてくれた。私は勝浦先生には頭が上がらない。

「なんとなく」を振り払って、自分の頭で論理的に考えてみよう。論理的思考はコンパスだ。あなただけの生き方を示してくれる。そしてコンパスがあれば安心して旅ができ、さらには旅を楽しむ余裕も生まれる。人生という長旅を楽しむことが出来る人が、かつうら塾を通じて増えていくことを切に願っている。

2019年3月7日