不合格体験記

 

     不合格体験記

K・E  一橋大学社会学部 (2003年 高松高校卒)

第一志望に落ちたとき、現実を認めたくありませんでした。涙がどんどん出てきました。後期試験を受けに行くかどうかを決めなくてはならなかったのですが、頭の中はぐちゃぐちゃでした。いざ後期の試験を受ける段になって、こんなに嫌になるなら申し込まなければよかったと後悔しました。受験せずに浪人しようかとも考えました。とにかく何もかもが嫌でした。でも周囲の人々に「申し込んだのは自分でしょう?」「受けに行くだけ行けば?」と言われしぶしぶ受験しました。

後期試験の準備といっても、英語と数学は全く手に着かず小論を二回書いた程度でした。気持ちを切りかえようとしても、やる気がでないのです。一橋大に通っている自分の姿も想像できませんでした。試験会場には来たものの、答案は白紙で出そうと思っていました。 そんなもやもやした気持ちの中、ふと、キャンパスの池に私の大好きなカモがいるのが目にとまりました。春の柔らかな日差しを受けて、のんびりと水に浮かんでいるカモを見ていると、それまでのかたくなな気持ちがいくぶん和らいできました。ここまで来たのも何かの縁だと、思い直して試験に臨みました。

こんな釈然としない気持ちのまま大学生になったので、心の中では「本当にこれでよかったのかな?」「やっぱり浪人すべきだったのかな?」という思いを引きずっていました。でも、こんないきさつで大学生になったからこそ見えてきたものもあります。志望校にスイスイと合格していたら、自分をこんなに見つめることはなかったと思います。

気付いたことの一つは、自分がすごく狭い価値観に縛られていたということです。今までは、学校生活で勉強と部活に一生懸命頑張っていくことが当然で、それが自分がやるべきことだと思っていました。でも、学校の成績がいいというのは、例えば、花を育てるのが上手いとか、パンが上手に焼ける、というのと同じレベルの能力に過ぎません。私は勉強ができるということを一番の能力だと思い込んでいました。

また、周囲から与えられたものを無批判に受け入れるだけで、自分自身の頭で考えることなど滅多になかったと振り返っています。世の中には、フリーターや肩書きのない人たちが数多くいます。こんな人たちと接して、なんでこの人たちはこんなに自分の志しがしっかりしていて、かつ行動できるんだろうかと不思議です。学業に専念することも大切ですが、それとの引き替えに大事なものをなくしてきたような気もしています。

入学当初は、大学について悩んでいたけれど、二年生になった今、そんな過去にいつまでもこだわっていられなくなりました。自分の将来のことです。自分がこれから歩んでいく未来は、自分がコ―ディネイトして、自分が責任をとっていかなくてはいけません。「自己責任」という言葉の重みを実感しています。世の中の大人はみんなそうやって生きているのかと思うと、本当にすごいことだと思います。

月並みな言い方ですが、人間万事塞翁が馬です。たとえ第一志望に行けなくても、それは人生の一コマに過ぎません。長い人生のなかでは、思い通りにならなかったことも、後でいいことになるかもしれません。私には、志望校に受かった喜びやそれによって得られることは語れませんが、志望校を目指して頑張っているみなさんには、こういう先輩もいるというふうに読んでいただければ幸いです。