音読は脳の全身運動

 

音読のすすめ(7)

●6分の音読

センター試験の英語は進んで読みたい英文ではないが、毎年、義務として目を通している。それでも後半の長文問題になると、かなりうんざりしてくる。

通常は、長文を一読して、設問に該当する箇所を再び読み込んで解答している。たぶん誰もがやるやり方だろう。今年(2015年)はそれを止め、第6問を音読の題材にしてみた。

音読の仕方は、ただ声に出して読むだけである。「内容をイメージして」とか「感情を込めて」とか「人物になりきって」という読み方はしていない。初めて目にする英文だから、そんなことはやれと言われても出来ない。

音読してみると6分かかった。長文の語数は644語なので、1分で約100語。普段から読み慣れている『英標』は、1分200語ぐらいだから、それに比べるとかなりゆっくりしている。

●音読の方が内容がよく分かる

20分の音読を日課にして二十数年になるが、現在は18分を1ユニットにしている。(『18分だけやってみる』)。第6問を音読するのに要した時間は6分。3回読めば1ユニットの18分になる。切りがいいので3回読むことにした。

2回目の音読で気づいたことがある。内容がよく分かるのである。「内容を理解しよう」とは考えずに、淡々と音読するだけなのだが、内容がどんどん頭に入ってくる。

3回目は、当然、もっとはっきりと内容が分かる。単に音読の題材として読んだのだが、これなら楽に問題が解けそうに思えた。

実際、設問に当たってみると、快適に答えることができる。快適とはいっても、わずらわしい作業は同じで、何度もページをめくり返しては設問と本文を照らし合わせて解く。――こんな作業が英語力と関係しているとは思えないのだが。

小問の全9問を解答するのに要した時間は3分。1問につき20秒だから、かなり速い。いや、速いといっても音読に要した時間が18分だから、18+3で計21分。決して速くはない。このペースでは全問を80分で終えることはできない。それに試験会場では声に出して音読するわけにはいかないから実践的でもない。

●音読の方が丁寧に読んでいる

しかし、実践的でなくても、「黙読」よりも「音読」の方が内容がよくわかるのはなぜだろう。

「黙読」では、知らず知らずのうちに「とばし読み」や「読み違い」をしている。普段ならゆったりと読めても、試験となると気がせく。単語をとばしたり、うっかりwifeをwideと読んだり、protectをprojectと読み違えたりしている。

その結果、意味が理解できないまま読んでいる可能性がある。速く読んだつもりが、いざ中身を問われると、理解していないことに気づく。設問に答えるには、同じ箇所をくり返し読み返さなければならない。結果的に時間のロスになる。

一方、「音読」では、「とばし読み」や「ななめ読み」はできない。一語一語、直線的にきちんと発音しなければ前に進まない。「音読」は、必然的に丁寧な読み方になる。

●音読は「脳の全身運動」

黙読では、目からの「入力」だけだが、音読では、目から「入力」すると同時に、口からの「出力」も行っている。さらに、口から出た音は耳から「再入力」される。

黙読が「入力」だけのワン・ウェイなのに対して、「音読」は「入力」「出力」「再入力」のスリー・ウェイである。出入力のメカニズムについては『音読すれば頭が良くなる』(川島隆太著)に詳しい。

著者の川島教授は、音読は脳機能を発達させる「脳の全身運動」だと指摘する。子どもから高齢者まで、「創造力」「記憶力」「集中力」「理解力」が高まるという。

・黙読:文字情報を目から「入力」するだけ。

・リスニング:音韻情報を耳から「入力」するだけ。

・暗唱:音韻情報を口から「出力」するだけ。

・写経:①文字情報を目から「入力」し、
②文字情報を手から「出力」する。

・ディクテーション:①音韻情報を耳から「入力」し、
②文字情報を手から「出力」する。

・会話:①音韻情報を耳から「入力」し(聞く)
②音韻情報を口から「出力」する(話す)。

・音読:①文字情報を目から「入力」し、
②音韻情報を口から「出力」し、
③音韻情報を耳から「入力」する。

音読の場合は、都合3回の情報の出し入れを瞬時に行っていることになる。

センター試験の英文を3回音読するということは、文字情報の「入力」を3回、音韻情報の「出力」を3回、音韻情報の「入力」を3回、計9回の情報の出入力をくり返していることになる。黙読よりも音読の方が、内容がより理解できるのもうなずける。

―― 生徒から、「意味が分からない」と、英文を示されていきなり説明を求められることがある。さーっと目を通してみると確かに難しい。改めて精読してもよく分からない。そんなとき声に出して読んでみると、あっけなく解決することがある。私にとっての音読は、生活の一部であり、いざというときの「伝家の宝刀」であり、困ったときの「魔法の杖」になっている。――

2015年02月07日